Africa想い出部屋

最初の災難

権力を笠に着るやつはどこにでもいます。
そういうやつに限って、自分より目上の者にはからきし弱い。

このお話に出てくる署長は、顔は旗本退屈男・市川右太衛門にそっくりの大男。
十分迫力はありました。

85年1月4日、ダレサラーム、快晴

今日から二泊三日の予定でミクミ国立公園まで行こうということで、朝早く、夫の車で家を出た。ほんのしばらく走った交差点で、交通警官に停められた。
警官と二言三言話した夫は、私にドアを開けるようにいった。
「どうしたの? リフトが欲しいの?」 (ヒッチ・ハイクがしたいの)
シングル・キャビンのピック・アップの狭いシートに、3人掛けになるのに乗り込んできた警官を訝りながら、私は聞いた。
「この車種の、一斉検問だそうだ。」
「エー! それで、どこへ行くの? 私達、急いでいるのに、、、。」

オイスターベイ・ポリスの裏の広場には、確かに私達と同じタイプの車が次々と連れてこられていた。
「すぐに戻るから。車から出ないで!」
車の登録証を手にすると、そう言い残して、夫は署内に続く長い列に加わった。

どれぐらい時間がたっただろうか。ここタンザニアは南半球に位置し、1月といえば夏真っ盛りである。しかも狭い車内、窓は開けてはいても暑い。運良く木陰に駐めてはいたが、もう我慢も限界だと思った頃、子供たちが周りに集まってきた。この広場の横は、警察職員用のバラックになっているので、多分そこの子供たちだろう。
「ムズング!(白人) ムチーナ!(中国人) ムジャパニ!(日本人)」
口々に私を品定めしている。一人が、私よりも数倍も上手な英語で
「How are you, madam?」 と聞いてきた。
「Nzuri. Habari yako? (Fine. and you?)」 とスワヒリ語で答えたものだから、みなが一斉に質問を浴びせてきた。そして、日本人だと判ると
「空手できるんでしょう? クンフー、教えてください!」 と賑やかなこと。
退屈していた私は、車外にでることにした。はしたなくも足振り上げて、ウソ八百の空手技を見せている時、子供の一人が、シートに置いてあったカメラに気づき、撮って欲しいとねだり始めた。当然、どの子もみんな撮って欲しい。ドアを開け、カメラを掴んだ時、夫が署内から出てくるのが見えた。大慌てで子供たちを1枚撮り、車に戻った。

「行こう!」と、夫が車をスタートさせたとたん、私達は警官に取り囲まれた。それも大勢! しかも、すごい形相の警官たちに!
わめき立てる警官たちに誘導され、車を中庭に入れさせられた。
「荷物をみんな持って降りて。」 と夫がいう。
「なんで? どうしたの? 終わったんじゃないの?」
十数人の警官に取り囲まれたまま、署長室まで連行された。

大柄な署長は、厳つい顔と声で、私に逮捕理由を告げた。
なんと、撮影禁止区域での写真撮影だと! だからって、スパイ容疑?!
つまり、私が写真を撮ったのは警察の敷地内で、撮影禁止だというのだ。確かに、厳密にいえば敷地なのかは知らないが、空き地で子供の写真を撮っただけではないか。警官も、署の建物も写ってはいない。
しかし当然ながら、それは放免理由にはならない。カメラ没収を言い渡される前に、フィルムを提出すると自発的に申し出た。
フィルムを抜こうとすると夫が日本語で
「気をつけてください。失敗したの時、この人たちは怒ります。その時、問題は、大きくなります。」 とプレッシャーをかけてくる。
私のバッグを開けて荷物をチェックしていた婦人警官が、化粧品のパレットを弄りながら、全ての持ち物を没収しろと署長に進言する。チクショー!
別な警官は、悪意があったとは思えないし、フィルムも提出したから良いんじゃないのと言ってくれる。結局署長の判断は、
「ミクミに行くそうだが、旅を続けることは許可する。ただし、戻り次第、再度出頭するように。その時には現像も終わっているはずだから、写真の内容を見て、逮捕容疑について判断する。再出頭しなかった時には、国際指名手配にかける。」

荷物を受け取り、署長室を出る頃、彼はいたく友好的な人物に変わり、遅くなるといけないから早く出発するように言い、旅の無事を祈ってくれた。そして、今まさに私達が部屋から出ようとするとき
「もう勤務が終わったんだが、ついでに家まで乗せてくれないか?」
何がついでなものか、彼の家は、ミクミへ行く方向とは逆方向ではないか。

車のなかで彼は、夫が日本で買ったカセット・テープに目をやった。80年代はじめの頃のアイドルたちのカセットである。
その中でも署長が気に入ったのは松田聖子ちゃん。
「この人を、あなたは知っているのか?」
「知っていますよ。」 (だって、売れっ子アイドルなんですよ、彼女)
「日本に帰ったら、この人を見る(会う)か?」
「もちろんですよ。帰ったらすぐに。」 (そりゃ、毎日のようにTVでね)
「私は、このように可愛い恋人が欲しいのだが、紹介できるか?」
「伝えることは出来ますよ。ただ、答えは彼女が決めるけれど。」
結局夫は、大事な聖子ちゃんのカセットを巻き上げられる羽目になった。
しかし、スパイ容疑などと大げさにきている彼らをなだめるのに、本物の聖子ちゃんを差し出す事は出来ないが、カセットぐらいなら、、、、。

彼の家に付くと、近所の人たちが大勢私を見に来る。彼は、これは私の大親友だと見栄を張り、そのことをみんなに見せつけるべく近くのキヨスクまで送れという。
そこでもまた人垣が出来て、彼はご満悦である。そして、買い物が終われば、当然のようにもう一度家までである。
「ありがとう。楽しかったよ。それじゃぁ、4日後に署のほうで。良い旅を!」
『いい気なもんだ、チクショー!』 と思いつつ、けれど顔だけはにこやかに
「それじゃぁ。奥さんや子供さんによろしく!」と告げて、一路ミクミへ。。。。


楽しかったサファリが終わり、しかたなく出頭した。
現像は出来ていない。当然、容疑も確定しない。
しかたなしに明日また来いということになり、また署長を送って帰る。

そんなことが、なんと3日続いた。
当然私は納得できない。

「ねぇ、おじさんの名前を出せないの?」
夫の叔父に当たる人がセントラル・ポリスでかなりの地位にいるから、その名を出すことを提案したが、派閥違いの人だったらかえって大変なことになるかもしれないし、第一逮捕容疑がスパイでは、彼に迷惑がかかる可能性もあるしと、夫はためらいを見せる。


翌日、私達はもう腹をくくった

「明日、また来るように。」
「署長さん、、。もう私の旅行期間も残りが少なくなったので、し残していることを片づけなければならないのです。写真の出来上がりは、私の容疑が晴れれば返してもらえるのだと思いますが、私はもう受け取りに来る時間がないかもしれないから、東京の大使館のR大使にお渡しいただけません?」
「R大使? 彼とお知り合いですか?」
署長の言葉が変わったのに気がついた夫は、
「知り合いというか、娘のようなものなんです。旅行のことに関しても、いつも必ず大使にご相談しています。今度も、帰国したときには、空港まで大使ご自身で出迎えてくださる予定です。」
「なぜ、それを早く仰ってくれなかったのですか? そのことさえ聞いていれば、あなたに疑いなどかけるはずはないではないですか! 写真の方は、早急に手配して、帰国前にお渡しするようにしますから、私たちの失礼を、大使のお耳に入れないようにお願いします。」
「とんでもない。非は私にあるのですから。いくら裏庭とはいえ、警察署の敷地でしたものね、確か。」
「いやいや。部下が、職務に熱心なあまりしたことで、、、、。」
「じゃぁ、今日はこれで失礼させて頂いて良いですか? 次は、何時来れば?」
「いや、もうあなたの疑いは晴れましたので、来ていただく必要はありません。どうかよい旅を続けてください。」
署長は立ち上がり、私たちを署の玄関まで送りだした。

「ご親切に感謝します。大使には、署長がよくして下さったので、楽しい旅だったとだけ、お伝えします。」
「大使のダレサラームのご自宅はこの近くなのです。お目にかかれるのを楽しみにしているとお伝え下さい。」
「わかりました、お伝えしておきましょう。」
私は気どりたおしてそう答えて車に乗った。

にこやかに手を振る署長に、夫が嫌みに声をかけた。
「署長、送らなくて良いですか?」
「今日は未だたくさん仕事があるので、まだ帰れないのです。」
「Kazi njema!」 お仕事、頑張ってくださいと答えて、私たちは二度と来ないぞと、署を後にした。


「My God! それで、写真はどうなったの?」

成田ではなく予定通り伊丹に戻った私は、翌朝、東京のR大使に無事戻ったことを告げるため電話した。
私の報告を聞いた大使は、笑いながら尋ねてきた。

「戻ってきませんよ。。。その後は、行かなかったし、、、。」

「電話してあげようか?」。