Mama Afrika

前世の因縁

私はカルト信者ではありません。

ただ、ちょっと…
頭の中のボルトが、サファリ・カーの振動で弛んでいることは、あるかも知れません。

前世の因縁 または 輪廻転生

若い2頃、ニーチェ、サルトル、カミュと読みあさった私にとっては、無神・反神こそ「私の理念」そのものである。リンネテンショーなど、信じるはずもない。

だが、問題はここである。私だけ、今までに何回か生まれ変わって、何を隠そう、今実に4回目の「生」なのである。

あーっ! ここでやめないで、もうちょっと読んで下さい!
結構おもしろいですよ、慣れてくれば・・・ ポリポリ f^_^;


1回目;

人類誕生の頃の東アフリカ。ここに私は「いた」と確信できるのである・・・多分。

足形の化石というか足跡が発見されているが、その足跡を残した人物、ルーシーと名付けられた彼女と同じ頃、きっと私もそこにいたはずなのだ。

ナイロビからナクルへ向かう途中、ナイバシャ湖という湖がある。近くには、ロンゴノットという名の火山があり、その他にも火山性の大小の山が点在する。

この山々が煙を上げていた頃は・・・と想像しよう。その景色を思い浮かべるとき、なんとも言えない懐かしさを覚えるのだ。それはきっと、DNAだけの記憶ではない、本物の記憶のように感じる。

野生のスイカを探して歩き回っている姿が、まるで現場中継のようにありありと見えるのだ。ロンゴノットの南の方から現れた私が、北へ向かって進んでいく姿が。

歴史の時間、熱心だったからね。


2回目;

ところ変わって日本。それも平安時代に私の2回目の生があったと思う。

小学六年の時、「大きくなったら、必ず源氏物語を、それも原典を読みなさい。」という担任の先生の言葉から、その週のうちに高校受験用の源氏の解説本を買って貰って読み始めた。古典好きはそれが発端なのだ。

後年、枕草子を読んだとき、描かれる情景の一つ一つが、「あぁ、そうそう、こんなこともあったわねぇ。懐かしいわ。」という感じで、胸に迫ってきて、清少納言にいちいち頷いてしまっていた。まるで年を経て、昔一緒のオフィスで仕事をした人と出会ったような、そんな錯覚に陥った。

特に、師の大臣のお姿がいともいともなつかしく・・・。

きっと私は、伊周の君にお仕えしていたんだと思う。そして多分、伊周の君のお供で中宮様の御殿に参り、清少納言とも顔なじみだったんだろうと思う。

日本人にはユーモアのセンスが無いという人は古典を読んでみて。 そこには、真のユーモアがある。あの頃は楽しかったなぁ


3回目;

時代は下った、英領東アフリカ。

アバディア山塊の懐深く、ケニャ山(ケレニャガ)を仰ぎ見る場所。
独立運動が、まだ形を持たない頃、私はそこに生きていたと思う。

マイク・レズニックの「パラダイス」や「キリンヤガ(ケレニャガのこと)」を読んだとき、すべて私が見てきた情景を、彼がパロディーにしたと感じた。

ケニャ山は、いつも私の心の底にある山だった。小学校の時に読んだ本だけで、こんなにも深く刻み込まれることはあり得ないと思う。アバディアへ行くと、身の引き締まる感じがする。ケニャ山を見ると、ともに戦った人々の声が聞こえるような気がする。

アバディアで、天候が悪くケニャ山が見られない日、私は自然とマウマウの人たちを思いだしてしまう。雨が霧のように降るこの山で戦った人たちを。

レズニックも、もしかしたら同じ頃に生きていたのかしら・・・


4回目;

20世紀半ば、敗戦の傷も生々しい日本に生まれ、21世紀半ばまで生きる予定で日夜励んでいる私。

4回も使い回したら、そりゃあおかしくなるわなぁ・・・


プラス1~2回;

口の悪い友人達はこれにもう一・二回加えてくれる。

曰く、私の前世はサバンナの牡ライオンなんだそうだ。牝ではなく牡ライオンだそうだ。

なぜ4回のうち2回がケニャで残る2回が日本なのか。考えられる理由は二つある。

一つは、想像力の欠如。なかなか穿った見方ではある。
他の国へ行っていないんだから仕方がないと。

もう一つは、これぞ輪廻転生。まさしく前世の因縁。。。