Mama Afrika

ムバリ・ケニヤ

旅行から戻ってすぐに頼まれて書いたものです。

一部余分に貰って、すぐにピーターにも送りました。
日本語は読めないのですが、名前のカタカナ書きは読めるので、自分のことが書いてあることは分かったようです。

ムバリ・ケニヤ - 80年5月発行社内報より

ご覧、あれが塩の峰ケニアだ。雪を知らぬ赤道直下のアフリカ人は、白く輝く山を指してこう言った。
そんな探検記を読んだのは二十数年前。
以来、遙かなるケニャ -ムバリ・ケニヤ- は永遠の憧れであった。
20数時間の飛行の後辿り着いた首都ナイロビは美しかった。「ケニヤには飛行場あるの?」「ホテルなんてないんでしょう?」 無知な質問を浴びせた人たちに、この近代都市を速達にして送りたいと思いつつ、冷たい水を飲む。アフリカの水を飲んだものはアフリカへ帰るという。何杯も、何杯も飲んだ。もう私は、半分ケニヤ人。
午後、一路アンボセリへ。市街地を出てまもなく、左手にキリンが3頭。ここはまさしく野生の王国ケニヤだ。右に左に群れ集う動物たちを見て、バスに乗った知恵あるサル共の姦しいことこの上なし。喧噪とともにロッジに到着。夕暮れ時、ゾウが来たという声。カメラを手に飛び出し、夢中でシャッターを押す。本気で写真を撮ったのはこれが最初で最後。
ケニヤの広さ、美しさは35ミリに収まるはずもない。ひたすら、己が眼に焼き付ける。限りない大地、無数の動物たち、その上の空と雲、夜空には南十字星、夢にまで見たキリマンジャロ、ナクルの水鳥、マラの大草原。
ガイドのピーターが言った。「私、サバンナのライフ大好き。」ケニヤに生まれ、育ち、今生きている青年の目が、声が、輝いていた。
一週間の短い滞在を終えケニヤを去る日が来た。
トゥタオナーナ(またあいましょう)ピーターそしてケニヤ。素晴らしい想い出を胸に、ピーターに教えてもらったケニヤの歌、マライカを口ずさんでみる。
やがて、窓の外のキリマンジャロが後ろへ飛んだ。ケニヤの海岸線も・・・・
不覚にも、涙があふれた。


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