Africa想い出部屋

緊急事態! あの飛行機を呼び戻せ! An emergency has arisen!

飛行場の雰囲気が大好きです。
楽しい旅をする人ばかりでないのは分かってはいても、やはり飛行場に着くと心がうきうきします。

そして搭乗待ちの時間。
機体の周りで働いている人たちの姿を眺めながらも、心はもう目的地に飛んでいる ♪

某アフリカ系エアー

85年1月1日。

タンザニアの空は晴れていた。早起きして空港まで来て、やっとシートに座ってホッとした。今日はダレサラームからキリマンジャロ空港まで飛び、モシの夫(当時は婚約者)の実家まで、舅や姑に挨拶に行くのが目的だった。お天気は良好。きっとキリマンジャロが綺麗に見えることだろう。
機体が動き始めた。救命胴衣の説明があり、いよいよ滑走路の真ん中に機体が運ばれた。この一瞬がいつも好きだ。期待と緊張。この大きな物体がふわりと持ち上がる瞬間が、人類の勝利の瞬間だといつも思う。モシまでは1時間足らずの筈だ。キリマンジャロが見えますように。

大好きな機体の揺れと、エンジン音がとどろく中、機体は持ち上がった。夫と顔を見合わせ、「よかったね。」と言い合う。
そう、このチケットを手に入れるため、3日間も航空会社のオフィスに通ったのだ。夫の兄(日本式にいえば従兄)に頼めばよかったのだが、何事も自分でやりたい性格の夫が、私を連れて何度もオフィスに足を運んでやっと手に入れたチケット2枚であった。ましてや、噂では、チケットがあっても、ボーディング・パスをもらっても、シートに着くまでは安心するなといわれていた。だが、今や私たちは大空の真ん真中。もう、着いたも同じだ、安心するなという方が無理というものだ。

いや待て、機体は下降している! ええ??? 無事着陸してしまった。それも、キリマンジャロではない、ダレサラームの、つまり出発地点に。。。。。 </div>


連れ戻されたぁぁぁ

アッという間に、私たちは元の空港に連れ戻されていた。
誰もなにもわからない。がやがや騒がしい中、トランジット・ルームに戻るように指示がある。だが説明はなにもない。タンザニア人が多い。インド人・少々、白人・わずか、日本人・私1人。ただ待たされて時間がたった。
1時間近くたった頃、やっとアナウンスがあった。「まもなく出発しますので、そのままもうしばらくお待ちください。」 夫は、そんな風に英語のアナウンスを私にスワヒリ訳してくれた。
「ちょっと、待ってね。」という夫の言葉を私は遮った。
「出ないわよ、この飛行機。」
断言する私に夫が理由を尋ねた。私はそのとき、自分たちが降りてきた機体から、荷物が下ろされ始めたのを見ていたのだ。
「他にの飛行機が、ありますからかも知れません。」
おいおい、こんなところで日本語の勉強かい!? のんきな夫にちょっとイライラしながら、私はまだ窓の外を見ていた。
他の飛行機なんてない。荷物は空港ビルに運び込まれている。
いったい何があったというのだ! まさか爆弾?
他の人たちもそんな心配を始めた頃、またアナウンスがあり、30分ほど後に出発するという。だが荷物はビルの中に入ったまんまだ。もし出るとしても、30分ってわけはないだろう。夫を誘ってバー・カウンターにいって紅茶を飲んだ。

また1時間ほどたった。最初にタンザニア人の立派そうな人が怒りだした。
やがて、若い白人が理由を聞きに行こうと夫を誘った。二人が行くのに私も後を追った。だが結局なんの説明もないまま、追い返されそうになった。
私は思いきって割り込んだ。
あなた達はもうすぐ出ると繰り返すが、荷物は空港ビルに運ばれたままではないか。私たちにはキリマンジャロに着いてからあとの行動予定もある。何時に出るのか、もしその時間に出なかった場合、欠航はどの時点で決めるのか、正確に案内をするべきではないか。

とうとう、出ない可能性を彼らは認めた。ならば、払い戻してくれ。ところが、払い戻しは明日以降、街のオフィスでするという。明日以降? そんな馬鹿な!
3人で怒りまくっているところに、他の白人や、さっきの風采の立派なタンザニア人とかが加わって、すぐ戻せ!ということになった。私たちはその場を立ち去ることにした。ともかく街のオフィスに行こうということで、件の若者とタクシーに乗った。

街のオフィスでも、明日以降に来てくれという。これは引き下がれない。今日、これから違う手段でモシに行くためにはお金が必要ではないか。粘りに粘って、ともかく私たちだけ払い戻してもらった。


信じられない事態

だが、もうモシへ行く元気はない。今の交渉で疲れ切った。お腹もすいてきた。夫は、兄のところへ行こうという。何かがわかるかも知れない。
あいにく兄は空港へ呼び出されて留守だったが、義姉が美味しいお料理でもてなしてくれた。お腹が膨れて、やや元気にもなり、怒りもおさまったところへ兄が戻ってきた。

兄の話はこうだった。

私たちがのった飛行機は、定刻よりやや送れたものの、無事に飛び立った。
いや、正確には、無事に飛び立ったと、キャプテンもコー・パイも思っていた。
彼らは何も知らなかったのだ。
飛行場には、離陸許可待ちのセスナが何機か並んでいた。そのうちの一機のパイロットが、無線機に向かって叫んだ。
「緊急事態発生! あの飛行機を呼び戻せ! 緊急事態! 緊急事態!」

なんと、私たちが乗った飛行機は、エンジン・カバーを落としたのだった。そしてそれに気が付かず、そのまま飛行を続けるところだったのだ。たまたま地上のセスナのパイロットが、飛び立った飛行機が何か落としたのに気付き、管制塔に連絡してくれたというわけだ。そして大急ぎで落下物を探したが見つからず、とうとう欠航になったというのだ。
メインテナンスのマネージャをしていた兄も、そんなわけで呼び出されたらしい。


ラッキーだったの

休暇が終わり、帰国のためダレサラームからナイロビまで飛んだとき、ひとりの客室乗務員と仲良くなっていろいろ話しをした。たまたま彼女が義兄のことを知っていたこともあり、話が弾んだ。
そして、例のフライトの話しになった。
なんと、彼女も偶然、あのフライトに乗務していたそうだ。

曰く、「あれ、ホントはすごく危険だったのよ。死んでいたかも知れない、、、。私たち、とてもラッキーだったの」