Africa想い出部屋

失われたアーク! The Lost Ark

99年9月13日。ケニャ、ナイロビの空は美しかった。
空港に入る直前、昨日訪れたナイロビ・ナショナル・パークのキリンが10頭ほども見送りに来てくるなか、国際線のターミナルに向かう。
快晴の空とは裏腹、いつもの「帰りたくない症候群」に見舞われ、頭はぼんやり、目はウルウル、神経症の胃がキリキリ。

でも、そんな症状が一発で消えてしまうようなことが。。。

アフリカ系エアー

チェックイン・カウンターで、例年通り 「荷物は関空までスルーで」と申し出た。
ところが、「出来ません」というお答え。

確かに今までも、関西新空港(KIX)で入力せず、伊丹のコード(OSA)でやってくれることが多くて、そのたびに時間を食っていたが、今回はもっとすごい。なんと
「コンピュータでクレーム・タグが作れるのは2中継地点のフライトの場合です。あなたのは3地点だからできません」
「そんな馬鹿なことはない。乗客がスルーで送りたいというのだから、あなたはそうするべきだ」
「それはそうなんだけれど・・。3中継以上の場合、ほんとうは手書きをするのですが、その用紙がないんです。だから出来ないのです。途中で荷物を一度受け取って、そこで再度チェック・インしてください」
「そんなことをしている時間的余裕はない。第一、用紙がないから出来ないと言うことが、正式な理由になりうるものかどうか考えてみなさい」
カウンターのお姉さんは、可愛い笑顔で言ってのけるが、そんなアホな!!!
渋々用紙を探しに行った。そしてしばらく後に戻ってきて言うには、
「やっぱり用紙がないので、私にはどうしようもありません。どこで荷物を受け取りますか?」
「それは理由にならないとさっき私は言った。あなたが出来ないのであれば、あなたのボスを呼びなさい。私は途中で荷物を受け取る意志はない。荷物を関空に送るべく、すべての道を探しなさい」
「おっしゃるのは解りますが、でもどうしようもないのです。心配しなくてもうまくいきますから、途中で受け取ってください」
「もう一度言うが、私にはその意志がない。いかなる方法を使ってでも、私の荷物を大阪までスルーで送るのがあなたの仕事である」
「でも、ないものはどうしようもないのに・・・」
彼女がもう一度奥に消えたとき、空港ビルの外から心配そうにのぞき込んでいる連れ合いの顔が見えた。いつまでたっても帰ってこない彼女に、ほかのスタッフまで、「どうかしましたか?」と聞きに来る。
やっと戻ってきた彼女。「2枚だけ手に入れましたが、これも実は2地点用の用紙なんです。だから、最初のフライトが書けないのです。仕方がないので、最初の便を欄外に書きます。それでもちゃんと着きますから、心配しないでください」
書き終わった彼女は誇らしげに私にそれを見せてくれた。
「ほらね、こうやって書いたから、ちゃんと届きますよ」

彼女が私に見せたタグには、シンガポール=香港の便名欄に、ドュバイ=シンガポールと同じ便名が書いてあった!!!


未着・・・・

99年9月14日。関空には台風前夜の雨が降っていた。
港からの便は、ショッピング客のたくさんの荷物を積んで戻ってきた。何時でもそうなのだが、香港での積み込みが悪いのか、ビジネス・クラスだからといって、荷物が早く出てきた例しがない。あきらめて待ち続けた。

やがてまわりに誰もいなくなり、当然のごとくターン・テーブルも空になった。

未着荷物のための必要書類を記入している最中にも、係りの方はコンピュータの端末をたたいたりして、調べを開始してくれているようだった。
「ドュバイからのテレックスによりますと、お客様のお荷物は二つとも、ドバイに到着したという記録がないそうでございます」

確かに私は 「帰りたくない」 といってだだをこねて連れ合いを困らせたりはした。だが、しかし、荷物だけ残してどうすんの!
ドュバイに届いていないと言うことは、ナイロビに残っているの? それとも、そのままカラチまで行っちゃったのかしら、、、私まだ行ったことないのに??

関空のホテルから連れ合いに電話をし、荷物の不着を告げた。彼は一言
「MY GOD!」


15日21時現在、未だ発見成らず

スワヒリ語で、旅行鞄は sanduku といいます。
大きな箱状のものは殆どすべてsandukuで表され、棺や櫃もsandukuです。
だから迷子のスーツ・ケースは、失われたアーク。


9月18日

夜9時前になって、荷物が我が家に届いた。
なんと、ドュバイで降ろされずに、そのままカラチまで積んでいかれていたのだ。
あの手書きのタグの欄外記入がいけなかったんだ。

でも全日空の方がとてもよくしてくださって、壊れたものも無くなったものもなく、無事我が家に届いた。