Africa想い出部屋

1981.08.14~23

二度目のケニャ旅行が終わって、前回よりは落ち着いて、熟考して、そう2~3週間経ってから決めたのがこの旅でした。(^o^)ハハハ

ちょっと旅慣れても来たし、いろいろ楽しめた旅でした。

初めてのテントキャンプと、これも初めてのスイートルームとかね。

セイシェルズ、リーフ・ホテルにて 81-08-15

セイシェルズのリーフ・ホテルにて。
この海はインド洋。セイシェルズ名物の、綺麗な夕日が海に沈む景色こそ見れないけれど、このホテルは素敵なホテルです。最初の時に泊まったホテルが好きになるという、不思議な習性の持ち主が私です。
キリマンジャロ・バッファロー・ロッジ 81-08-17

6月にオープンしたばかりという、キリマンジャロ・バッファロー・ロッジ。
アフリカン・ハット風で、とても可愛い。アカシアの向こうにキリマンジャロが見える。
サファリ・カーの群 81-08-17

ライオンがシマウマを食べているのを見に集まってきた車の群。
狩りをしているわけではない、食べているだけなのにこの有様。
この年のサファリでは、ライオンの食事中を何回見ただろう? シマウマ、ヌー、バッファロー、アミメキリンまで食べていた。
フィリップおじさんと私 81-08-18

過去のドライバーBest 3にはいるフィリップさん。
私の旧姓から「moto」と呼んで、とてもよくしてくれた。でも、数年後、会社のオーナーと喧嘩して、国のウガンダに帰ってしまった。今頃どうしているのかなぁ・・・。
もう一度会いたい人の一人です。
ガバナース・キャンプでオルワと 81-08-18

アンボセリからセスナで憧れのガバナースへ。
テントの前でオルワと。
「ピーターに見せないで。しかられるから」というけれど、こんなになにも見えない写真では怒りようが無いじゃない。
テントの中 81-08-18

ガバナースのテントの中。
念願のテント・キャンプ、それもガバナース。今回のサファリは超リッチ。移動のほとんどはセスナ。 泊まるのもここガバナースとか、マウント・ケニャ・サファリ・クラブ。私ごときがこんなところに泊まっても良いのか?日本に帰ったら、まじめに働こう。
マラ平原の朝日 81-08-19

マラ平原に登ったばかりの朝日。
マラは、朝日が本当に大きく昇ってくるので好き。夕日も好き、くつろぎと明日への希望に満ちているから。 でも朝日は、期待そのもの。すべてがポジティブに受けとれる、そんな気がして、好き。
サンブル・ロッジにて 81-08-19

サンブル・ロッジの私の部屋の前です。この日の夜中、この窓から、ゾウに覗かれたんです。その怖かったこっとといったら。 ガラス1枚隔てて、ゾウを見ていた私と、のぞき込むゾウと。窓一杯にゾウの頭があったことだけ、印象に残っています。 もう一回そんな体験をしても良いかな。フフ。
サンブルでパンク 81-08-19

夕方のサファリでパンク。これはサファリの常識。それに、パンクしたらラッキー。
だって、パンクしたら、修理のために仕方なく車から降りないといけないでしょう。
私たちは降りたいんじゃなくって、降りざるを得なかっただけ。
(^_-)-☆
サファリ・クラブのお部屋で 81-08-20

マウント・ケニャ・サファリ・クラブでの私の部屋です。当然、広々としたスイート・ルーム。 ゆったりとしたリビングとベッド・ルームに分かれていて、リビングの暖炉には、夜になると薪がくべられる。
うーん、やっぱり贅沢は良いものだ。
サファリ・クラブのテラスから 81-08-21

マウント・ケニャ・サファリ・クラブのコーヒー・テラスから、ケニャ山を望む。 優雅な雰囲気になれるところだが、でも、、、、。植民地の頃の英国の人たち、 あるいはアメリカ人。心は複雑。ここは、この頃はまだ閉ざされたクラブだったけれど、今は千客万来。 それってイヤね。
赤道通過記念 81-08-21

ナニュキで、赤道通過の記念撮影。もう一台の車のドライバー、ムアンギおじさんにも入ってもらった。このおじさんがまたいい人だった。このサファリのあとも何度か事務所であったが、「moto」って言って駆け寄ってきてくれたっけ。
ガイドやドライバーに恵まれたことが、ケニャにのめり込む一つの理由だったかも。
ケニャッタ・コンファレンス・センター 81-08-21

ヒルトンの窓から見た国際会議場。まだ高い建物はのように多くなく、ヒルトンとこの会議場、二つの円筒状のビルはナイロビのランド・マーク的存在だった。
どこからでも見えて・・・。
今は見えない場所の方が多いくらい、他の建物が高くなった。