Africa想い出部屋

2004年7月30日~9月10日-住人気どり、ナイロビ滞在!

7月30日 FRI
ここ数年、出発日に雨に降られることが多かったが今年は大ヒット。
台風!! 朝から雲が多い。
数日前、台風接近のニュースが流れたときは、今日の15時頃が近畿に最接近ということだったのでめちゃくちゃヤバい状況だった。だって16時頃に家を出る予定だったから。
ところがこの台風、速度が自転車並みということで、でほとんど停滞というか足踏み状態。昨夜のニュースでは深夜に最接近に変わってきた。そして今日、四国か九州に上陸するのは明日か明後日かって。
でも雲がますます多く、低くなり、いつ降ってもおかしくなさそう。
予定より一つ速いバスで出ることにする。関空に着いておくことが大事だ。
ナイロビ到着は日本時間の明日18時過ぎ。今から26時間の長丁場だ。
いざ出陣! (`0´)ノオウ!
三宮行きのバス、オンタイムで出発。ニュータウンを抜け神戸へ入ったとたんパラパラときた。そして箕谷のあたりではものすごい降りよう。傘は持って来てはいるけれどイヤだなぁって思っていたら新神戸トンネルを抜けたあたりで雨は上がって一安心。
取りあえずジュンク堂へ寄りパズル本を5冊ほど追加購入し、空港バスへ。
渋滞気味のところもあったがほぼ定刻に関空到着。夕食をすませ荷物を受け取る。時計を見間違えてというか、計算し間違えてというか、1時間早く引き取ってしまった。この荷物ではお手洗いへも行けない。
チェックイン開始。もう疲労困憊で荷物を動かせない。全て係の人にお願いしてやってもらう。先もってお願いしてあったので車イスで移動。セキュリティーは車イスのまま通過。イミグレはクルー用のところでスタンプをもらう。
デューティーフリーで買い物するならお連れしますとご親切なお申し出だったが、まぁいいや、機内で欲しいものがあったら買おうと思いそのままラウンジへと連れて行ってもらった。
ラウンジではBBSとメールをチェックし、休憩。
ボーディング・タイムに合わせて係の人が迎えに来てくれて1番最初に乗り込む。デパーチャ・タイムの表示が10分早まっていたが、結局定刻ぐらいにチューブを離れた。
7月31日 SAT
特に変化のない、いつも通りのフライト。ドバイ到着は定刻より1時間半ほど早かった。
係の人が車イスで迎えに来てくれるのを待って一番最後に降りる。車イスは先乗り後降りのルールのようだ。
チューブを出て、普通ならエスカレーターで上に行きセキュリティーを通るのだが、エスカレーター脇の非常口から中に入りエレベーターでセキュリティーへ。ここでも長いキューは無視して先に通してもらう。
ラウンジはいつもの21番ゲートのところではなく反対側のラウンジへ。
出発時刻に迎えに来るということでチケットとボーディングパスを預かるという。預かり証もないことに不安を述べるが「そういうシステムです」といわれれば仕方ないか…
しばらくして、別な人がやはり車イスで運ばれてきて、同じように預かりますといわれているのでひとまず安心しておこう。
早く到着したおかげで次のフライトまでまるまる3時間ある。一息ついてからシャワーを浴び、ソファで横になって時間を待つ。
車イスを押した人が来て、グランド・アテンダント話している。私かなと思っていたら名前をアナウンスされた。良かった。
搭乗ゲートへ運ばれていくとキャプテンとコー・パイが入ってきた。しばらく待つとゲートが開いたが、キャプテンより先に乗り込んだ!
荷物は係の人が持ってくれて機内へ。中国系とおぼしき男性アテンダントが「荷物はどこへ置きましょうか」と英語で聞いてくれたので足下に置いてくれるよう答えてから、スワヒリ語を話すアテンダントがいるか聞いてみたらいるという。良かった。「どちらからですか」とその男性アテンダントに尋ねられて「日本からです」と答えると「私、日本人です」って!
私は彼の顔を見て中国系かなと思い、彼の方は私の名前から日本人かどうか確信がなかったという。これで一安心だわ。
そしてまたいつも通りのフライト。楽しみにしていたケニャ山は雲が多すぎてまったく見えないままだった。残念。
定刻より遅れてナイロビ到着。また最後から降り、車イスでイミグレへ。ここでも長いキューをスキップしてスタンプをもらいエレベーターで下へ、ターン・テーブルのすぐ横に出た。
P-さんたち、私の姿が見えなくて心配しているだろうなぁ。車イスを見たらもっと心配するだろうなぁと思いながら荷物が出るのを待つ。その間も係の人と話しっぱなし。サンブルだって、彼。サンブルのことを話しながらずいぶん待って荷物を全部ピックアップしカスタムへ。係のおじさん、意地悪そうな顔だったが、何を持っているかと聞かれ、自分用の服と日本食ですと答えてやった。そりゃぁ、キャリーを含めて5個も荷物があるんだからね。
外へ出ると案の定P-さんがビックリした顔で近づいてきた。足を痛めたというと道中でかと聞いてくるので2週間ほど前からで、長い距離は歩けないので車イスを頼んだことを説明。
それにしても暑い! ナイロビは寒いという情報はなんだったの?
まずEagleへ。ワン・ベッドルームを無理矢理用意してもらっておいてから買い物に。必要なものを買いそろえて帰宅。しばらく3人でおしゃべりしてからNyamburaをピック・アップ、P-さんの希望通り日本食に。帰り際、遠藤さんとばったり出くわしてP-さん驚き。あまり体調も良くないので食後アパートに送ってもらってそのまま玄関で別れる。
眠いのに眠れなくって、でもしんどいから何もできず、しばらくお喋りしてから就寝。ナイロビ第1日目、無事終了。
8月1日 SUN
やっぱりツー・ベッドルームのお部屋にかわろうということで、荷ほどきもしないまま昨日買いもらしたものを買いに街まで。往復ともタクシー利用。
買い物から戻っても、前の住人が動いていないということで私たちの引っ越しは明日になりそうとのこと。オニャンゴがしきりとぼやいている
そうなるとすることもできることもない。必要最小限のものだけ広げて不自由な生活を送る。
このままここにいるという手もあるけれど、やっぱり2階に2寝室あるのって良いよ。台所だって広いし。
8月2日 MON
引っ越しは午後になるとのことで、することもないから、午前中は両替と本屋さんへ行こうということでタクシーで出かける。メルセデス、辞めちゃったのか姿が見えない。去年と同じキクユのドライバーの車にする。この人はこれで3年目かな、利用するの。
ブック・ポイントで4~5冊買って、両替をしてからソーン・トゥリーで休憩。オーダーし終わったところにオルワが入ってきた。三人とも大、大、大ビックリ! 何年ぶりかな。最後は彼のオフィスを訪問したときだから3~4年かな。思い出話に花を咲かせて別れる。でも、お互い老けたね。(^o^)ハハハ
引っ越しは、荷物の移動はすぐに終わったけれど、台所の消毒などけっこう腰に負担がかかるのでP-さんに手伝ってはもらったが半分ぐらいしか片づかなかった。後は明日だな。
8月3日 TUE
今日は出かけないということなので台所の片づけの残りと寝室の整理。お昼前にはほぼ終わって良かった。
夕方、散歩がてらに近所を歩いてみたがやっぱりダメ。家の中にいると痛みがないので治ったのかと思うけれど、歩き出すとダメだ。お店の中とかも、立ち止まりながら歩くから痛まないんだけれど、連続歩行ができない。台所に長時間立つのもダメ。困ったなぁ。やっぱりザンジバル、無理だね。
8月4日 WED
タクシーでウエスト・ランドへ。まずアイスクリームを食べてからテキストブック・センターへ。4~5冊買って、Uchumiで食料品を少し買って帰宅。
夕方hashimotoさんが、MLに流れたメールをプリント・アウトして届けてくれた。活発に動いている。こんなの初めて。嬉しい(#^.^#)
8月5日 THU
P-さんが家賃の集金に出かけるので私は留守番という日程。
朝食の用意をしていてちょっとしたアクシデントで小指の付け根をやけど。たいしたことはないと思うけれど痛い。イヤだなぁ。
10時半頃P-さん出発。私はパズルを解いたりTVを見たりで時間をつぶす。
P-さん、2時頃帰宅。お土産と称してお野菜や果物をいっぱい買ってきてくれた。でも集金はうまくいかなかったんだって。今月の中旬に引っ越す予定の人なのに、溜まっている家賃を踏み倒されそう…
8月6日 FRI
帰りのチケットの購入に。KQは3400ドル以上する。おまけにコネクションが良くないし、今のタイムテーブルだと、こっちに戻ってくるときの便の到着が夜明け前の4時ということで最悪。やっぱりEKに行く。運良くカウマがいてくれたのでまたエクセス20追加してもらえた。ついでに帰りの空港での車イスの用意も頼んだ。その後ベーコンなどを買って帰宅。
EKのオフィスで気になっていて思い出せなかったが今気がついた。あの、ビザ関連のデスクに座っていた人、研ナオコに似ていたんだ。誰かに似ているって思って、でも誰だか思い出せなくって、ずっと気になっていた。
8月7日 SAT
裏のソーコの仕立屋さんにP-さんのパンツの裾上げをもっていく。私たちは知らなかったけれど、ママ・パカと同じソーコにいたんだって。向こうを立ち退かされた後こっちに移って、私たちが通るたびにあの人たちだって話していたって。そういえばママ・パカはどうしているんだろう。
午後からhashimotoさんたちとヤヤへ。ごみメールを減らそうと思ったけれどあまりの数の多さにげっそり。その後コロッケを買ってからナクマットへ回った。レジで並んでいるとヘロンのムゼーから声をかけられた。先々週にこちらに着いたって。まるまる2年ぶりなのに名前を覚えていてくれてビックリ。私の方は…、しっかり忘れてしまっている。(^o^)ハハハ
買い物の後ビレッジ・マーケットへ。サンブサを食べているとき、Nyamburaが知り合いの日本人女性から声をかけられた。で、その人のお連れが神部さんだった。P-さん、e-chanといるとなんで古馴染みの人と出会うのかなって不思議がっている。その後パテルのお店へ寄ったがお兄さんしかいなかったのでそのまま帰宅。うちでコーヒーを飲みながら4人でお喋り。
8月8日 SUN
昨日、パンツの裾上げを取りに行くのを忘れていたので出かけてみたがやっぱり閉まっていた。そのままハウス・オプ・レザーまで足をのばしてポテト・マッシャーなどを買って戻る。
日曜でもあるし部屋で休憩することに。どっちにしても足が痛いので出かけるのが苦痛だもんね。
夕食の前、P-さんとクリーム・カラメルを作る。できはまぁまぁ。どうもオーブンの温度調整が正確ではないような気がする。次の時は温度を低めに設定してみよう。
8月9日 MON
ヒルトンの近くでメールをチェック。中身を読むよりごみの削除に追われる。結局一つのアカウントしかチェックできなかった。1時間もかかったのに。
その後買い物をして帰宅。
私がメールをチェックしている間にP-さんが果物などをたくさん買ってきてくれていて、夜、それを洗ったり冷凍したりしていたら腰が痛くなってきた。困ったなぁ…明日はマサイ・マーケットに行く予定なのに。
8月10日 TUE
朝から腰痛でダウン。どこにも行かずに部屋で過ごす。
こうなりゃ食べることだけが楽しみだ。クリーム・カラメルやフルーツ・サラダをてんこ盛り楽しんだ。夕食はチキン・ティカ。これが本当に美味しかった。午後からつけ込んで、何度も裏返したりフォークで突いたりした甲斐あって本当に美味しくできあがった。付け合わせのインスタント・ピラウも大成功。これはカレー・ラーメンのスープを入れて炊きあげただけなんだけれど、付け合わせにはちょうど良いあんばいだった。これはまた挑戦しないと。それにしてもほんと、お店で食べるより美味しかった。
8月11日 WED
まずヒルトン近くのUchumiへ。それから例のヒルトンのムヒンディのところで自分用のT-Shirtを3枚購入の後メールのチェックに。
今日はP-さんもPCで遊ぶというので結局1時間ほどいた。メールをどんどん捨てるだけで時間が過ぎて、中身は読んでいない。でも捨てておけば日本に戻ってから煩わされずにすむからね。メールそのものは、旅行中は読まないと公言してあるので、まぁ良いでしょう。(^_-)-☆
夕飯はピラウ。お米、やっぱりピラウ向きじゃないのかなぁ。P-さんは今度はお米を変えようといっている。
Uchumiでディープ・ヒートを買った。腰痛がひどくなる一方なんだけれど、これで少しは楽になってくれると良いんだけれど。
そうそう、ヒルトン・アーケードのムヒンディのママのところへツアーを探しに行った。マラ行きが13日にあるということだったけれど戻りが15日だったのでダメだ。24日ので行こうかなぁ。
8月12日 THU
今日も出かけないことにする。
ちょっとゆっくり目に起きて、朝ご飯のあと上のソーコまでお野菜の不足分を買い足しにいったらもう12時。でも帰りがけにマヒンディを食べたこともあってお腹がすかない(^o^)ハハハ
昨日から世間が騒がしい。
昨日の夕方、ヒルトンのそばのバス・ターミナルで捕り物騒ぎがあって、通行人がみんな地面に伏せさせられたりしたらしい。数時間前にそこを通っただけに、行き会わせていたらと思うとゾッとする。
そしてその後の時間にNgugiが泥棒に襲われたって。せっかく21年ぶりとかで戻ってきた祖国で泥棒にあって、お金や結婚指輪まで取られた上にケガまでさせられたなんて…。でも、ノーフォーク・タワー、セキュリティはしっかりしているのになぁ。
そして夜になって今度はナイロビNPで火事。これは今日になってからごみを燃やしていた火が飛び移ったと判明。でも、このごみを燃やしていた人は捕まるのかしら。
今日で3日目のチキン・レッグ・メニュー。たくさん買い込んだので毎日チキンを食べている。今夜は香草焼きにしてみたが、初日のチキン・ティカが美味しすぎて香草焼きでは感激が薄かった。
ピキピキさんからTel。14(土)にンゴングのニャマ・チョマに連れて行って頂くことになった。楽しみ(^_^)ニコニコ
8月13日 FRI
買い物に出たもののやはりキツい。店内を見て回るのは立ち止まり立ち止まりだからあまり問題ないのだけれど、街中を歩くのは辛い。
母親から電話が入った。でもSafari.comの不調のようなんだけれど、雑音がひどくって話せなかった。後でこちらからかけたらうまく話せた。
夜9時前からオリンピックの開会式。演出は、ギリシャ! って感じでとても良かった。P-さんは11時前に眠いといって部屋に行ってしまったが、私は一人で見続けた。終わったのは12時ちょい過ぎだった。
8月14日 SAT
サファリの件でP-さんの昔の仕事仲間ウィリーと会う。去年のマラのゲートでの話になって大笑い。おまけにP-さん、昔のセキュリティーでのソーダの件まで話しだしたものだからウィリーに大受けだった。
昨日P-さんがやけどした指、ひどくなっている。もっと早くに氷で冷やせば良かった。大丈夫だっていうものだから。よく見てあげていれば良かった。
P-さんにお料理させるのかわいそうだから私がプロウンズ・カレーを作ることにした。でも私が作るとやはり塩味が薄すぎて、P-さん、大量にお塩を入れている。でも、そんなに入れられると、味を否定されているみたいだよ!! (`ヘ´)プンプン
8月15日 SUN
貸家のことでP-さん外出。洗濯や台所の布巾の消毒をしたがすぐに終わってしまっって手持ちぶさた。オリンピックを見ながら時間をつぶすしかない。
ボクシング中継は、もしかしてヒチコック監督の作品だったのかしら? (爆)だってヒチコックそっくりの、それも顔も体型もそっくりなおじさんが画面の隅に映って、一人で笑ってしまった
ローダン・シリーズは3冊しかないのでまったくおもしろくない!!
4時過ぎにP-さん帰宅。6時になるかならないかに停電、食事の用意もできない。去年はこんな時には近くのニャマ・チョマまで出かけていたけれど、今年は歩けないから停電のさなかには出かけられない。夕方のお茶の用意をしようとした矢先だったから温かい紅茶もない。救いは、冷凍してあったミート・ソースを温める予定だったこと。これだと電気が戻ったらすぐ食べられる。幸い8時半頃に戻ってきた。
パワーの人が来たかなと廊下に出て下を覗いているとき、隣の部屋の人がロウソクはあるかと聞いてきた。一箱買ってあるからあげようかと思ったら、私がもってなかったらくれようとしたの。感激。英語で話したんだけれど、後でP-さんから聞くとキクユの人だって。
8月16日 MON
P-さんのG-ショックのバッテリー替えに。目の前で取り替えてくれて、防水のテストなんかもしてくれるし、若いムヒンディだけれど感じの良い人。仕事も丁寧だったし、これだと日本まで預かって帰らなくても良いよね。もう一つのはソーラーだしね。
その後メールのチェックをして、またまたごみだけ消して帰宅。どうにかならないかしらねぇ、ごみメール。
TVを見たりして何となく過ごす。【TV】( ̄*)
8月17日 TUE
マサイ・マーケットへ。その前にビューローへ。イヤな感じのインド人!! 遠回りでもいつものところへ行けば良かった。
マーケットでは特に目新しいものもないので、そのままテキストブック・センターへ。辞書などを買った。MLのメンバーも欲しがるだろうと思って余分に買い込んだ。思いもかけないソフトも手に入れた(^^)v
でも、オーナーなのか、スーツ姿のインド人のおじさん、これを音楽CDだと思っていたのがおもしろかった。中身が私が思っているものかどうか分からないので「もし違っていたら返金して」っていったら、OKしてくれて、ただし明日には返しに来て欲しいって。ここにはPCをもってきてないからお店ので試させてよっていったらそれもOKしてくれた。で、お店の地下のPCで試してみてから購入。ラッキー♪P-さんは高いのに呆れていたけれど。
その後ノーフォークへ。ピーチ・メルバを食べて満足。そこから街までゆっくり歩いていたらP-さんの古い友達と遭遇。30年ぶりだということでe-chanパワー全開だねなんて話しながら歩いていたら、また別の人ともバッタリ。不思議だねぇ。
例のお店でベーコンやソーセージを買って戻ったのだが、街への途中でタクシーを探しているときお客を乗せていたタクシーが偶然やってきて大笑い。
夕方、P-さんは例によってクリーム・カラメル作り。本当に太るよ、そんなことばっかりしていたら(●`ε´●)ぷっぷくぷ~
8月18日 WED
昨日歩きすぎたので今日は自宅待機の一日。本を読んだりパズルを解いたりオリンピックを見たり…
夕方に上のソーコまでバナナを買いにいったがやっぱり歩けない。
本当になんなんだろう。ヽ(~~~)ノハテ?
8月19日 THU
タンザニアに電話しようとしてもいっこうに繋がらなくて困っていたら大変なミスが発覚。プリント・アウトしたときに末尾が一桁消えていたのだ。大事そうに抱えてきた電話番号、ケニャのもタンザニアのも全部アウトだよ。母親に残してきたのに出てるのは問い合わせれば良いんだけれど、それ以外は全滅か。無念、残念。ともかく明日にでもメールで連絡を取ってみよう。
母親から電話がなかったけれど、縫子さんと有馬にでも行ったのかなぁ。
夜になって、首を痛めたときのお薬を念のためにと持ってきていたのを思い出して飲み始める。効いてくれると良いんだけれど。
8月20日 FRI
タンザニアには取りあえず電話して欲しいとメールした。
母親に電話してもでない。おかしいなと思って時間をおいてかけ直したら、有馬に行っていて、今戻って玄関を開けたところって。元気にしているみたいで一安心。後でかけ直してもらって電番を教えてもらった。
ヘレナのが繋がらなくってエリアスにかけたら、二人、昨日戻ってきたって。それも二人ともオフィスに来ていて、ついさっき戻っていったとこって。やっぱり止めたのか、アイ。
ヘレナの携帯の番号を訊いたら変わっているっていうことで新しいのを教えてもらってかけてみる。ナイロビに来る段取りをするように言って切る。
8月21日 SAT
ピキピキさんと出かける予定だったが来週に延期。
ハウス・オブ・レザーに行ってみたが楽に歩けるようになっていて驚き。まったく痛みがないわけではないけれど、立ち止まらずに行けた。よかった。
夕食はNyamburaと3人でニャマチョマへ。お店の人も一緒になってミラクル・ベビーの話し。オリンピックなんて誰も話題にしていないよ。(×_×)
8月22日 SUN
P-さん、二日酔いの頭痛ヽ( ̄_ ̄*)
昨日、Nyamburaが帰った後も飲んでいたからだよ。反省しろ!
昨日買ったジグソー・パズル、けっこう難しい。単色の部分が大きいからカブライアンは持て余すかもしれない。男の子だから車の絵が良いだろうと思って選んだけれど、もう少し簡単な図柄の方がよかったかも。
8月23日 MON
花鈴さんからスワヒリ語教室のBBSのログが消えているとメール。何があったんだろう。ずいぶん長いことこんなアクシデントなかったのになぁ…
何通かレスして終了。
両替にいって、40シルの記念硬貨を5枚もらって(^_^)ニコニコ この前P-さんにもらった2枚ともで7枚。もう少し欲しいなぁ。
8月24日 TUE
上のソーコでパラチチを買う。日本で1個100円ぐらいの大きさのを2個買って20円ぐらいかな。日本でこんな値段で買えるのなら毎日でも食べるんだけれど。でもP-さんはパラチチを食べないんだよね。
夕食はプロウンズでピザ。生地もトマトソースも自家製。美味しかった。でも日本にいると絶対目分量なんかで作らないのにね。ピザ生地だってケーキだって細かく計って作るけれど、ナイロビのアパートメントでは目分量。でもできるもんだよね。<(゜≧゜)>ハナターカダカー♪
ニュースで、昼間ウフル・パークでマサイのデモ隊とポリスが衝突したって聞いて、明日街に行くのを止めようということになった。英国入植当時の自分たちの土地の返還を求めているとか。P-さんに言わせると、彼らはジンバブエの様な政策を求めているけれどそんなことできるわけはないし、してはいけないって熱くなっている。
夜、3000m障害を見る。やったぁ! ワン・ツー・スリー・フィニッシュ!! 最初ケニャ勢4人がトップだったが一人がすぐに遅れ、終盤にはカタール(でもこの人、カタールに移籍したケニャ人)が3位に上がってきた。でも最終ラップにはいる直前だったか、また3人がトップになりそのままゴール。P-さんもけっこう興奮して見ていた。いつもなら眠いといって寝てしまうのに(^o^)ハハハ
3本並んだケニャ国旗はなかなかの眺め。明日の新聞が楽しみだ。
8月25日 WED
ウエスト・ランドのスピナーズ・ウェブでみどちゃんのお祝いを買った。気に入ってくれると良いんだけれどな。ついでに、去年のシンバの編みぐるみのお友達にとチュイを、P-さんは札入れを購入。支払いの時、レジ脇に置いてあったマウス・パッドに気がついてこれも購入。こちらもチュイでした(^^)v 革製ですてきなやつ。P-さんは自分で作ればいいのにっていうけれど、気に入った柄のがあれば買うのがベターよ(^o^)ハハハ
サリット・センターでフード・フェアをしていたのでちょっと覗いてみる。試食や試飲もやっていて楽しかった。キャドバリーのタフィーとラム・ソーセージを買った。早速昼食のときに食べてみたがスパイスの具合がすごく良くて美味しかった。今まで買っていたポーク・ソーセージ、嬉しくなくなってしまうかも。10本入りで175シル。街中でもこれぐらいの値段かな。
8月26日 THU
久しぶりに朝から良いお天気。ほとんど毎日午前中は曇っているから朝から晴れると嬉しくなる。昨日のお昼過ぎはずっと暑かったけれど、今日も暑くなりそう。
サイバー・カフェ、えらく空いていると思ったらシステム・ダウンだって。あきらめてP-さんにくっついてパワーに。そこからハウス・オブ・レザーを覗いてメモリアル・パークへ行く道で、IP電話、日本まで15/mというのを発見。すごく安いけれど、回線がお粗末だったら途切れるだろうな。でも、いつものサイバー・カフェでもIP電話があって、みんなわりと普通っぽく話しているみたいに見えるけれど、もしかして、あの人たちのほとんどはIP電話ではなくsimu ya jamiiのほうかな。
アンバサダーの裏手から、ストリートの小さなお店というか露店を巡り歩いてニョタへ。例によってサンブサとチャイ。去年は一度も寄らなかったからずいぶん久しぶり。やっぱり味が落ちている感じ。チャイも、味が落ちた。冷凍のサンブサや家で入れるチャイの方がよほど美味しいわ。
お腹いっぱいで戻ったのでお昼抜き。でも3時頃にソーセージを炒めて食べた。P-さんは何かしらゴソゴソしている。お昼寝しているかゴソゴソしているかどっちかなんだものね。
8月27日 FRI
午前中にヘレナがダルを出たと、お友達が電話してきてくれた。今日、明日はアルーシャのお友達のところに泊まって日曜にナイロビに着く予定。
午後からケーキを焼いた。ラム・レーズンをたっぷり入れたパウンド・ケーキ。でもやっぱりオーブンの温度計が良くないみたい。少し焦げてしまった。時間よりずいぶん早くに念のためにってドアを開けたら焦げていたの。時間まで置いてあったら炭になっていたわ、きっと。来週また挑戦してみよう。
夕食はコロッケ。これはイリオの残りのリサイクル。ベーコンを炒めたのを入れたら美味しかった。お店のコロッケより美味しい。
初めてイリオをタマネギと一緒に炒めたのを食べたとき、これはコロッケになる! と思ったのは正解だった。切腹、破裂もせずにきれいに揚がった。形作ったりするとき、P-さんかなりハマっていた。きっとまた改良を加えて自分で作るんだろうなぁ。
8月28日 SAT
ピキピキさんと同僚の方たちのお招きでニャマ・チョマへ。
ンゴング・ヒルの奥の方で、よくこんなところを見つけたなぁってビックリするやら感心するやら。お肉が焼けるのを待つ間、おいなりさんやおむすび、卵焼きなどのピクニック・ランチも用意してくださってて感激。
お肉の方は、まず山羊のソーセージが出てきて、マイニもあって、本当に美味しかった。お肉だっててんこ盛り食べた!
1時半頃、ヘレナから電話が入って2時のバスに乗るので6時半頃ナイロビに着くって言ってきた! (・_・)ヾ(^o^;)オイオイ明日だって言ってたじゃない。
途中ピキピキさんたちの元同僚のカマウの建築中のお宅を見に行ったりして、3時頃までニャマ・チョマに滞在。お開き近くにhashimotoさんからTEL。「今頃食べているの? 」といわれ、「いいえ、今頃まで食べているのです」と返した。本当によく食べた。4時過ぎにアパートメントまで送って頂いた。
それからインパラ・シャトルを探してみたが見つからない。イエロー・ページにないし、他のバス会社に尋ねても分からないし、イライラし始める。結局何も分からないまま6時頃、hashimotoさんか来てくれて街に向けて出かける。途中セレナで尋ねて、シルバー・スプリングHにオフィスがあることが判明、出かけていく。オフィスでは7時頃到着と言われて待つことしばし。
ところが、バスが到着しても誰も乗っていない。一瞬心臓が真っ青になる感じがしたが他のバスが来ると聞いてホッとする。その間、タンザニアから来たドライバーたちとちょっと話す。
やっと到着。「心配した? 」ってきいてくるヘレナに「したわよ! 」って答える。髪をきれいに編んで女性らしくなっているけれど、またいっそう細くなった感じ。ダイエットは特にしていないみたいだけれど、大丈夫かな。
ヘレナの希望がチャイニーズだったのでドラゴン・パールへ夕食に。ここでもよく食べた、よく食べた。そこからあのアイスクリーム屋さんへ。でもチョコしかない。夜に行くといつもなんにもないんだ。仕方なくコーヒーを飲む。
その後アパートメントまで送ってもらってまたしばらくみんなで話し込む。
ヘレナは携帯を買いたいなんて言い出す。日本の感覚でいる私は、なんで1週間だけのために!? なんていうけれど、ヘレナは「なかったら友達と連絡取れないじゃない」なんて涼しい顔。チップだけ買えば自分の手持ちの携帯のチップと入れ替えて使えるとかで、hashimotoさんから相場なんかを聞いていた。携帯なしでは生きていけない様子は日本の若者と同じか。(・_・、)
8月29日 SUN
まずヘレナの携帯を買い、その後果物を買ってからナクマットへ。お土産も含めた買い出しで、紅茶やコーヒー、チョコレートなどを買い込んだ。
昼食はニャマ・チョマ。
夕方にハウス・オブ・レザーまで散歩がてらに。
男子マラソン、ものすごい妨害が入って、ただただビックリ。ブラジルの人、3位になってしまってかわいそう。それでも特に抗議などしないで爽やかなコメントを残していた。でも、無念だろうなぁ、内心は。
その後閉会式が終わるまで一人でTVを見ていた。P-さんもヘレナも付き合ってくれないんだもの。(;>_<;)ビェェン
8月30日 MON
まずサリット・センターへ。ヘレナは自由行動にさせておいて、私たちは本屋さんを覗いてから郵便局へ行き、その後はコーヒーを飲みながらヘレナがウィンドー・ショッピングに飽きるのを待つ。(^o^)ハハハ
ヘレナも合流してお茶を飲んだが、買いたいものがあるから一緒に見てという。3階のお店に行ってみるとキコイで出来たサンダルとバッグ。でも残念ながらヘレナのサイズもアイリーンのサイズも、欲しいデザインと柄のものはなかった。街で探そうということでサリット・センターを後にして、先日のお店でお肉とチキンを買ってから、街へ。ヘレナのたっての希望でマタトゥで行った。確かに昔みたいに押し込むのではないとはいえ、やっぱりまだ無茶なこともしているよ。嬉しくない乗り物だね。
それにしてもよく歩かされたなぁ、足が痛いのに…
シティ・マーケットにも行ったし、ビアシャラ・ストリートも歩いたし。私の方は疲れ果てて、昼食の後「もう帰ろう」って提案したのに「まだ2時なのに!? 」だって。P-さんと二人、顔を見合わせて笑ってしまった。若い者にはついて行けないよ、ほんと。結局戻ったのは4時過ぎていたはず。私はリビングのソファに座り込んでいるのに、彼女、ベッドルームへの階段を駆け上がっていった。私、若い頃でもあんな元気なかったよ。
8月31日 TUE
P-さんはナイロビの貸家に出かけていった。家賃滞納、電気代未納という困った借家人が今日引っ越す予定だからということで鍵を受け取りに。でもその人、二日ほど前から携帯の電源を落としているらしく連絡が付かない。だからもしかすると無駄足になるかもしれない…
私とヘレナはマサイ・マーケットへ。
小さめのキョンドを200で購入。ヘレナはラフィアのバッグを700で。その後シティー・マーケットでマサイ・サンダルを1足800で2足購入。一足は私からアイへのプレゼント。
サイバー・カフェへ行くつもりで歩き始めたら珍しくヘレナが喉が渇いたというのでスタンレーへ。
ソーン・トゥリーでカフェ・ラテを楽しんでいたらなにやらにぎやかなバンドの音。何かしらと思っていたらオリンピック・チームの凱旋パレードだった。スタンレーがスポンサーだったため昼食会や夕食会がここで行われるみたい。
キャサリン・ンデレバとイザベラ・オチチをみることができた。二人とも小柄でビックリ。他の選手はこの後到着するという紹介があったが私たちはその騒ぎの間にP-さんも合流していたのでサイバーへ。
その後またヘレナの買い物に付き合わされてヘトヘト。
アンと会うというP-さんを残して私たちはトゥクトゥクで帰宅。でもしばらくしてP-さん帰宅。アンはまだシティ・センターに戻っていなかったらしく「待ってられないよ! 」って怒っている。ほんとどこの子も同じだね。
疲れて二人とも遅めの昼寝。
夕方、イリオ用のジャガイモを買いに出かけるとリフトが動かない。停電しているわけではないんだけれど…。ともかく階段を下りて出かける。
戻ったときもまだ動いていなかったので6階(日本式に言うと7階)まで必死の思いで歩いてあがると、私がリフトの前を通ったとたんに動き出した音が聞こえた。\(`o'")こら-っー
夕食はP-さんがイリオとカランガを作ってくれた。カランガはムチューズィだからべつにへレナには珍しくもないんだけれどイリオは初めてだったから喜んでいた。美味しかったしね。
夕食の後、ヘレナはP-さんと話し込んでいて後かたづけをしない!! でもそれも良いかと一人で洗い物。けっこう話が弾んでいるのがおもしろい。
9月1日 WED
今日はヘレナを市内観光に連れて行く。
まずタクシーでメモリアル・パークへ。慰霊碑の名前の多さに改めて驚いたようで、そのときのダルでの様子をP-さんに話したり、逆にP-さんからナイロビの様子を教えてもらったりしている。
その後立ち寄ったハウス・オブ・レザーでビューティー・ケースを発見。デザインも大きさも、中の作りも良いので欲しがっている。でも彼女の予算をオーバーしているので、昔ながらのデザインのものを買おうかと迷っている。
私も彼女ぐらいの時、やはり普通のデザインのビューティー・ケースがいやで、彼女が見つけたようなデザインのものを買ったのを思い出した。
それにしても、なんでビューティー・ケースって昔からデザインが変わらないの。たいして便利そうなデザインとも思わないのにヽ(~~~)ノハテ?
お小遣いは渡してあるのでそれ以上にはやらないつもりだったが、少し援助してやろうと思って差額を渡してやった。それから彼女お店の人に値段交渉しはじめた。一応ここはフィクスということになっていると思っていたのだが2割引いてもらうのに成功。もっと引いてもらうように粘っていたけれどさすがにそれは無理なので、あきらめて購入。すごく嬉しそうだった。
その後コンファレンス・センターへ。でも、絶対にあそこのポリスだかかなんだか、私たちを騙したんだと思う。300もとられた。もっとも、私だって騙してやったけれどね。
一番てっぺんまで登って、写真を撮って、ヘレナはかなり満足。
P-さんにお使いを頼んでおいて私たちはインターコンチでティー・ブレイク。チョコレート・ケーキでお腹がいっぱいになった。
その後ミュージアムへ行くつもりだったが遅かったので取りやめ。
9月2日 THU
今日はタクシーをチャーターして行動。
まずはシェドリックへ。行くたびに人が多くなってきている感じだし、日本人も多くなってきている。つまんないの(((((¬_¬)フンッ
ヘレナは怖がっているのかあまりゾウに近づきたがらない。私の方は近づきたくてうずうずしているのに。でもどうして近くへ行かないのっていうと「服が汚れるのがいやなの」って強がっている。
その後Carnivoreへ。ゲーム・ミートはワニとダチョウだけだったのでちょっとがっかり。ヘレナはワニはいやだって最初口にしなかったけれど、「話の種にちょっとだけ」って勧めて一口食べさせた。味はいやではなかったみたいだけれど名前と形に押されているのかな。
デザートの時、P-さんがドライバーが戻っているかどうか確認に行ったのでヘレナと二人テーブルに残り「来年はもっと早くから計画をつめてナショナル・パークへも行こうね」なんて話しているところへ、なんと!! ルテーレ登場!!
駐車場でP-さんと会って私が中にいると聞いたって、自分のお客を放っておいて挨拶に来てくれたの。もう二人で抱き合っちゃったわ。だって1年ぶりよ。去年はマラの帰り道で出会ったんだ。ちょっと老けたみたいだけれど、優しい笑顔は変わらない。初めて一緒にサファリしたときから10年以上も過ぎてるんだから、お互い老けて当たり前だけれどね。ヘレナを紹介するとビックリしてた。来年こそまた一緒にサファリしようって行って別れた。今日から10日間のサファリに出るからってことでナイロビでの再会は無理だからね。
ルテーレと挨拶する時、ヘレナがさっと立って握手したのが嬉しかったなぁ。いくら女性とはいえ、相手がルテーレほどの年代ならやっぱり立って握手するのは当たり前だからね。そういえばシルバー・スプリングHでP-さんと挨拶するときにもPiga magotiしてたっけ。良い子に育っている。(*^-^)ニコ
ランチの後はジラフ・センターへ。ここでもヘレナは最初は怖がってキリンのえさも受け取らなかった。でも少しずつ慣れてきて、私がえさをやっていると横から取って口元に放るようになってきた。そのうち、自分でえさをもらいに行って、なくなったらまたもらってきてって、するようになった。それでもムズングのママが係の人の真似をして口移しでえさをやるのまでは真似られなかったみたい。私だってできないわ。だって、キリンの鼻息なのか口臭なのか、けっこう臭いし、唾液だってベトベトなんだもの(×_×)
さてサファリ・ウォークへ移動という段になってものすごい雨。どうしようもない土砂降りで、傘を持ってたとしたって入れそうもないような降りよう。予定を変更しようということになってミュージアムへ。でもP-さんとドライバーが想像していたとおり、街の方ではまったく降ってなかった。
ミュージアム到着直前気分が悪くなり、着くなり戻してしまった。痛み止めがキツいから胃をやられて、それで乗り物酔いになったかな。それでヘレナ一人でしばらく回らせて、私はアーメッドのレプリカの前で休憩。でも後半は合流した。そしてスネーク・パークへ。ヘレナ、しきりに写真を撮ってるけれどガラス越しだからなぁ…
そして帰宅。でもみんな満腹で夕食は抜き。私はその後ぶっ倒れた。
9月3日 FRI
ヘレナが帰国の日。
P-さんは例の借家人のことで朝から外出。私は一晩中苦しめられた頭痛がもっとひどくなり吐き気を伴い最悪状態。
迎えが来る直前P-さんからTEL。まだしばらくかかりそうって。ヘレナが出発してしまえば一人になるかと思うとちょっと不安だったが、だといって引き留めるわけにも行かないし。
バスが来るのをレセプションでまとうと廊下に出たらもう下にバスが着いている。大あわてで玄関へ。来年の再開を約束してヘレナ出発。
買ったばかりのサンダルとラフィアのバッグに、ビューティー・ケースとスーツケース。おしゃれに着こなし、持ちこなしている。きれいになったなぁって、親ばかも良いところ(^o^)ハハハ嬉しそうに帰って行った。
その後またぶっ倒れた。夕べから何も食べてないし、お水を飲んでもジュースを飲んでも戻すからお薬も飲めない。そのまま4時過ぎまでベッドで。
P-さんが戻ってきてからも起きてられなくって、でもお薬を飲まないといけないからといわれ夕食を一口だけ口にしたがまたダウン。
頭痛と吐き気にP-さんはちょっとうろたえ気味だけれど、私にはある程度まではいつものこと。ただ、吐き気はちょっと不安。頭痛と吐き気が一緒に来るのは怖いよね。いつもは頭痛だけだから。
夜遅くにはお薬のせいかずいぶん楽になってきたけれど、今度は、どこからか聞こえてくる太鼓の音が怖くって眠れない。お葬式かもしれないってP-さんが言う。ルオーの人のお葬式の時みたいなんだって。
9月4日 SAT
ずいぶん楽になったがやっぱりまったくお腹が空かない。頑張って朝食を取り、もう一度お薬を飲んで、その後街へ。
T-シャツを追加したかったんだけれど、胸の刺繍がきれいなのは仕立てが悪く、仕立てが良いのは刺繍が好きじゃなくってあきらめた。
P-さんがアンと会うことになっているのでその時間までソーン・トゥリーで休憩。でも連絡がつかなくって半分あきらめ状態。
ついてないことにはいつものサイバー・カフェは土曜でお休み。他のところへ行ったが日本語が読めるところがない。OKといわれて入ってもダメ。
ヒルトンのムヒンディのお店へお土産の最終的な追加を買いに。お店を出るとき「また来年ね」って言われてしまった。このおじさん、絶対悪い人じゃないと思う。ただ、商売人としてはまったく愛想がないだけ。(^o^)ハハハ もっとも、インド人全般だけれどね、愛想のないのは。でも、このおじさんは本当に人間的には良い人なんじゃないかな。このお店でお土産を買うのは昔からだけれど、愛想がない割にいやな思いをしたこともないしね。
お店を出たところでアンから電話。ヒルトンで会うことになった。
その後ナクマットで買い物少々、帰宅。
お昼はまったく食欲がなく、スイート・メロンとラム・レーズンのアイスクリームですませる。やっぱり体の芯の方で熱があるのかなぁ、冷たいものだけが嬉しい。そう思っていたらP-さんが同じことを言ったので、へぇー、ケニャでもそういうんだって感心してしまった。
夕食、親子丼を作るのにご飯を炊いている最中、うっかり話し込んでしまったらご飯がまる焦げ。シッティング・ルームにはまったく臭いが来なかったのに階段にも2階にも焦げた臭いが充満している。ヘンなの!
仕方なくもう一度炊き直し。お鍋は大変なことになってしまった。スチール・ウールを買ってこなくっちゃ。
9月5日 SUN
夜中まで本を読んでいたので、朝食の後、お昼まで眠ってしまった。
無理して朝食を取ったから胃が重苦しい。昼食はまたスイート・メロンだけにしたが冷たくて美味しかった。
夕方、CNNで西日本で地震があったと流れてビックリした。それも seconde arthquakeなんて出るものだから余計に心配ですぐ家に電話を入れた。でも夜中の12時頃だからでない。出ないということは無事なんだと自分に言い聞かせようとしても不安は消えない。まさか電話が通じないということではないと思うが…
hashimotoさんに電話してみたが何も情報はないという。でもすぐ折り返し電話があり、お連れの方が愛媛で津波があったという情報をお持ちだとか。愛媛で津波…不思議。その後ずっとニュース番組を追いかけているんだけれど何も言わない。P-さんは、シリアスな状態ではないからいわないんだ、シリアスだったらぜったにいうからとなだめてくれるが、どこで地震があったのかも分からないし本当に心配。
それに母親、この前の台風が怖かったって嘆いていたのに今度は地震だなんて。怖い思いをしているんじゃないかと心配がつのる。
P-さんは、1時まで起きていて電話をするようにいってくれる。それしかないよね。月曜でお医者へ行く日だから7時には絶対起きているはずだ。それを待って電話しよう。
second earthquakeって、何にたいしてセカンドなんだ。まさか阪神大震災の規模にたいしての第二じゃないよね。心配な書き方…
9月6日 MON
日付が変わって1時になるのを待ちかねてTEL。
和歌山あたりが震源地で、朝と夜中と2回あったという。朝のにたいして、私がみたのは夜中の地震のことでそれでセカンドだったのかぁ。怖かったとはいうが、縫子さんが心配で電話をしてあげたという。その点まだ余裕があったのかな。
ひとまず安心。眠れる。(-_ゞゴシゴシ(´0`)ゞファー
お昼近くに街へ。P-さんの短パンを探しに。そのお店で赤と黒の2色使いのカンガを見つけて購入。380→350だから安くはなかったのだが色が気に入ったのでしかたがない、買ってしまった。
その後サイバー・カフェへ。その間にとP-さんがマンゴーを探しに行ってくれたんだけれど、なんと直後に停電。結局40分以上もP-さんが戻ってくるのをすることもなく待つ羽目に。読み物も何も持ってないからほんと疲れた。
やっと戻ってきたP-さんにぶつぶつ文句を言ってやった。(^o^)ハハハ
ナクマットで紅茶とチョコレートの追加を買って帰宅。
夕方にhashimotoさんからTEL。CNNではほとんど報道がないので大したことはないのだろうと話す。日本の新聞関係のサイトでも被害報告はないとか。でも震度5弱だったらありそうなものだけれど。
明日の夕食をご一緒する約束をする。
9月7日 TUE
P-さんの荷物を家に戻す。借家人が出たのでものすごくすっきりしている。ここ、少し手を加えれば私でも住めるかも。
キヨスクのママにちょっとだけ挨拶しに寄って、その後街へ戻って、短パンを交換してもらってからサイバー・カフェへ。
小一時間メールをチェックし、ベーコン2種類、2キロを買って帰宅。
家を出たのが11時過ぎていたから、戻ってきて焼きそばをつくって食べたらもう夕方近い。残りの荷物を少しまとめる。
夕食はhashimotoご夫妻とイタリアン・レストランへ。ピザ、美味しかった。でもチョコレート・ムースはこれでもか! ってぐらい甘すぎた。
アパートメントまで送って頂いて、そのまままたお喋り、お開きは11時頃だったかな。
その後、雲行き大いに妖しい。
9月8日 WED
すねてシッティング・ルームで寝てしまったというか横になっただけ。4時過ぎには停電するし散々だった。
朝予定より早く起きて荷造り完了。朝食の後ベッドで熟睡。
P-さんから馬鹿扱いされる(;>_<;)ビェェン
昼食の後はマニキュアしたり、細々とした準備。
空港へ行く前に先にP-さんの荷物の残りを落とそうということでマリンゴ経由空港行きに決定。
いつものようにダルかエンテベから来るものと思っていたのでもう駐機されているのにビックリ。「あれ、もう飛行機、来ているよ」というと、P-さん、「だったらオン・タイムで出るかもしれない」って。その方がドュバイで慌ただしくなくて良いから助かるけれどね。
チェックイン・カウンターの人がとろくさくって時間がかかったものだから、P-さん、心配して中まで入ってきてくれた。今はセキュリティーがタイトだからチケットがない人はなかなか中へ入れてもらえないんだけれど無理矢理頼んだみたい。ずいぶん待ってやっと車イスが来てくれて出国手続きに。
ここでP-さんともう一度お別れ。また来年。
ラウンジに連れて行ってくれて、搭乗の時に迎えに来ますといったもののなかなか来ない。ムズングの老紳士が「私も同じフライトですよ。ラウンジのレセプションの女性に電話させてあげるからね」といって出ていった。優しい人だなぁ。ありがとうございます。<(__)>
飛行機は早くに来ていたのになぜか出発は定刻より小一時間ほど遅れ7時13分頃テイク・オフ。これだとドュバイではラウンジに行かずに搭乗口へ直行だな。もうチェック・インは終わっているから安心だけれど。
パズルを解いていたんだけれど、隣のインド人がスカイ・ショーをみているのを何気なくのぞき込んだら北へ向かわずに西に向いている。気流でも悪いのかしら。遠回りになると本当にドュバイでしんどいよ。車イスが来てくれていればいいけれど、歩きだったら倒れるかもしれないよ。
ォィォィ(;・・)ツ☆、なんで着陸だ???? エンテベって、聞いてないよ。何があったの? 私、乗り間違えたの? 飛行機だもの、乗り間違えなんてないよね。チケットをみてもきちんとドバイ行きだし、そこから大阪へのボーディング・パスも持っているのに。なんでエンテベ?
ドュバイ直行だと思っていたのに、隣のインド人に尋ねるとエンテベ経由だって!! ウソよ、それだったら乗り継げるはずないもの。
どおりで、ナイロビを飛び立ってすぐにフルーツのサービスがあったはずだ。いつもはないものね。ビクトリア湖の上を飛んでウガンダまで。初ウガンダ。もっとも機内からは出れないけれど。
タクシングに時間がかかって完全に駐機したのは8時25分頃だったかな。でもナイロビを1時間遅れで出ているし、大阪行きの乗り継ぎ、待ってくれるのかなぁ。何度みても旅程表もチケットもボーディング・パスも直行と同じ時刻表示だよ。何があったの…
エンテベの空港は小さい。昼間に来たかったなぁ。明かりの感じからすると近くに山があるのかなぁ。きっときれいなんだろうなあぁ。ルワンダの飛行機が一機駐まっているだけで、地方空港みたいなこぢんまりした空港。
それでもそこそこ人が降りていった。ビジネスはほとんど降りる人がいない。なんて思っていたらいっぱい乗り込んできて、満席になった。それどころか、ダブル・シーティングもあったようで出発がまた遅れる。滑走路に向かったのは10時過ぎてからのこと。これからドュバイまでは五時間あまりは絶対にかかるでしょう。ということは! 絶望的じゃない!! 不可能じゃない!!!
スワヒリ語を話すスタッフを呼んでもらって、遅れているよねって確認すると「ドュバイではホテルを用意するなり、他の便に振り替えるなりで対応するから心配しないで」って。心配するよ、誰だって。下手すると、丸一日遅れになるんじゃないの。
またケニャ上空へ戻って、トゥルカナ湖の上を飛行、ケニャ時間で11時を過ぎた頃エチオピア領内へ。
9月9日 THU
本来のドバイ到着時刻にはまだアジスアベバ上空。どこからか母親に電話入れないといけないなぁ。
フライト変更、なんでチェックイン・カウンターで言わなかったの? 遅れなかったとしても、エンテベを回れば2時間は余計にかかるから、ドュバイでの乗り継ぎは不可能って予想を立てられたのに。
それにしてもスルーでチェックインできてるって不思議じゃないか。
あれ? いつもは切り離すドュバイ/大阪のチケット、切り離してないのはカーボン式じゃないのに変わったからそのせいかなと思っていたけれど、まさか乗り継げないから切り離してないなんてことじゃないんだろうねぇ。それだったら確信犯じゃないか。そういえば、JALやANAのチケットの時、スルー・チェックインすれば切り離してあったよ、確か。
あぁ、考えてもムダだ。(メ-_-)ムカムカ
今3時半。ドュバイまであと40分少々。そこにつくまで明確なことは何も分からない(;>_<;)ビェェンこう言うの、前途不明とでも言うのかしら。だって、前途多難なんて言いたくないよ、縁起でもない!
シートベルト着用サインが出た。まもなくドバイ到着。長ぁ~い1日が始まるのかなぁ・あぁ、ウンザリだよ。
どこかにクレームしたいようヾ(;□;)э こんなんアリ~?
ドバイ到着4時15分。約4時間遅れで~す。
トラブルの始まり。車イスが来ていない。いつも空港内を走っているカートに乗れといわれ、ともかく歩き出す。でも、どこにあるのよ、その車! 見あたらないよ。それに、グランド・アテンダントからはトランスファー・デスクへ行けとだけいわれるし。他のことを聞こうとしてもほとんどゞ(`´)シッシッシみたいにトランスファー・デスクの方を指さされるし…
ものすごい列。そりゃそうだ、エアバス1機まるごと(当たり前だけれど)4時間遅れだもの。それなのに、受け入れ態勢なんて何もないじゃないの! 日本のエアーだったら、たとえ口先だけ(?)でも謝ってくれるだろうに、私の知ったこっちゃないみたいな涼しい顔だものね、みんな。ともかく並ぶしかない。
ちょうど後ろに並んだ若い日本人男性に「言葉が分からないのでよろしくお願いします」と声をかけたが、これが幸運の始まり。お仕事の3人連れのお一人で、別な方が「じゃぁ、みんな一緒にやっちゃおうよ」っておっしゃってくださって、結局このあとずっとご一緒させて頂くことになった。というか、大きな荷物を背負って頂いたというわけ。
本当に、一人だったら、路頭に迷うかのたれ死にかってところだった。長い時間かかって、バンコク行きなどの早いフライトの希望も無視され24時間後の大阪行きを設定され、ホテル・クーポンなどを受け取った。英語が達者な方が話してこれだけかかるんだから私一人だったらと思うとゾッ…。
そしてイミグレ。ホテル・クーポンにはビザ関係のものなども含まれているので無言のままで通過。カスタマーはX線で検査。税金云々よりセキュリティー重視なのかな。ここも無言で通過。そのあとホテルへのリムジンへ。待たされている間に用意されているホテルがエコノミー対応と分かり変更を申し出にいってくださったが、そこのカウンターではダメで中まで戻って、結局トランスファーデスクまで戻らないといけないようなそんなことらしく、そんなら早くホテルで休んだ方が得策だとそのままホテルへ。ところが4人で2台の車だったのに私が乗った方はビジネス・クラス対応のホテルへ持って行かれて、でもやっぱり間違いだって最初の指定ホテルへ。しんどいよお!
チェックイン終了。でも早朝なのでお部屋の用意がまだできてないってことで先に朝食に。途中からウガンダからの若い女性お一人も合流。夕方からデザート・サファリに行こうということに決定。だって、丸1日ホテルで寝ているのももったいないし、第一悔しいじゃない! 有意義(? )に使わなくては。そしてそれまでその女性と買い物もご一緒させて頂くことになった。
長い1日は楽しい1日になりそう。いや、楽しい1日にするぞ! ( ^^)人(^^ )
EK負担で3分間だけ電話できるということなので取りあえず母親に帰国が丸1日遅れることを伝える。時間が残っているのでP-さんにもかけてみたがこちらは不出状態。またケンセルになっているのかなぁ。こっちの番号、聞いてないんだよ。あとからもう一度かけてみよう。
ショッピング・モール行きのホテル・バスが10時に出るのでそれに乗ろうとお電話を頂いた。あと1時間では寝るわけにもいかないし…
シャワーも使って今はまぁまぁ快適。もう少ししたら電話をかけがてらにロビーへ下りてみよう。お店もあったから覗いて時間をつぶそう。
その女性のチケットのことで話が長引きバスに乗り遅れ、タクシーで市内のモールへ。待ち合わせの場所と時間を決め自由行動にする。まずスーパーへ。大きなハイパー・タイプのスーパーをみて歩く。広いし品数も豊富。まだ熱が残っているのかなぁ、何となく口が気持ち悪いのでチューインガムと、サファリという名のノート、ヒョウ柄とゼブラ柄を購入。
そのあとはいろいろ見て回ったが、ブランドのお店で服が買えるようなサイズでもなくなっているし(;>_<;)ビェェン メークだって、最近はネールと香水以外は普段しないし。というわけでサイバー・カフェを探した。インフォメーションで教えてもらっていってみたが日本語が読めなかった。
待ち合わせの時間になっても彼女が現れない。ギリギリまで待って、あきらめてバス乗り場へ行くが出てしまったのか待っても待っても来ない。30分近く待って、バスも彼女も来ないのであきらめてタクシー乗り場へ。これがバスとは反対側になるので広いモールを縦断。
やっとたどり着いて乗り込んだのだがこれがとんでもない雲助タクシー!
乗り込んで、ホテル名を言っていくらか尋ねると9ドルだという。来るときは4ドルできていたので3ドルって提案して、結局4ドルにすればいいと思って言うと、絶対9ドルだって居丈高に言う。じゃぁ降りるからモールから出るなというのにそのままモールから出てしまう。そしてなおも9ドルだという。びた一文払わないぞ、降ろせ! といっても車道に出てしまった。そして、ここからだとグリーン・ベルトを歩かないといけないという。かまわないから止めろと言うと、自分が次のお客を拾える場所まで行くと言う。そんなことされてたまるか。1ドルも払わん! 止めろ! とわめいてドアを半開きにした。それでやっと徐行しはじめたものの止めようとはしない。止めろぉ、降ろせぇと外に向かって大声で叫んでやっと止めさせて降りる。
ところが車の量が多いから車道を横断できない。仕方なく、どこかに建物側に渡れる道はあるはずだと来た方向へグリーンベルトを歩き始めた。よく見ると空のタクシーも流している。止まってくれるのかなぁと思いながら合図をすると止まってくれた。さっきのタクシーと同じ会社のだ。窓を開けさせていくらかきくとうちの車は全部メーターがついていますって! 遠回りで余計に払わされたとしても、メーターがついていれば走ったことには違いないはずだからと乗り込む。ホテルに着くと10DHS。これって3ドルじゃないの!
お部屋に戻らずに先にランチ。そのあとシャワーをして、デザート・サファリの出発時間を待つ。アイとヘレナが今夏フランス行きの時にドュバイで泊まってデザート・サファリを楽しんだというので、P-さんと二人、日本へ行くときに寄るかドュバイで落ち合って揃ってナイロビに戻るかしたいねと話していたのに、こんなに早く実現(? )してしまって、良いのかな。(^_-)-☆
P-さんに電話が通じた。まだドュバイにいることを告げたら心配してくれたが、英語が達者な日本人のグループに助けてもらっていると説明するとホッとしたような声になった。
4時半過ぎ、デザート・サファリ出発。私たち5人とインド人一人を乗せたランクル。すごいのなんの。単に砂漠を走るものと思っていたら、なんと砂漠を文字通り無軌道に走り抜けていくジェットコースターなんですよ、これが。上へ、下へ、横へとすごいのなんの。船酔いしてくるほど。もういいよと言うほど走ってやっとダンスもみられるレストランへ到着。まぁレストランと言うよりは青空(星空? )居酒屋みたいな感じかな。飲み物を飲みながらダンサーの登場を待つ、待つ、待つ。やっとダンサー登場。時々TVなんかでみる太りすぎのダンサーかなと思っていたがきれいな体つきのそこそこ若い人。それほど長いショーではなかったがお客を舞台に上げて一緒に踊ったりしてよく楽しませてくれた。そのあとビュッフェ式のディナー。それほど食べないうちに満腹。やっぱりお肉ダメなのかなぁ。いや、エンテベ/ドュバイの機内ではチキン・ティカを食べたもの。
そのまままた一走り(!)してホテルへ戻った。
シャワーをし、砂まみれの靴を洗って、まだ少し時間があるしスープとコーヒーが欲しくってレストランへ。洗った靴は当然乾いていなくって、履くと、冷房のせいもあって足が凍えそうに冷たくって痺れたようになってくる。早くラウンジや機内で靴を脱ぎたいよぉ。
APへのリムジンは0時に出発の予定。
9月10日 FRI
おまけの1日。(×_×)
0時過ぎ、ホテル出発。でもまだまだ安心するまいぞ! (爆)
チェックイン・カウンターで無事に荷物が積み込まれるかどうか確認。といっても自分でできたのではなく全ておんぶに抱っこ。本当にこの方たちにご一緒させて頂けなかったら大変なことだったかも。
やっぱり英語は大事だよと痛感。
21番ゲート近くのラウンジで搭乗を待つ。お喋りしながらだと時間が早い。昨日あれほど元気に歩いたし、砂漠に登ったりもしたのに、今日は歩きづらい。床材にもよるのかなぁ。3番ゲートまでは遠いので途中からカートに乗せてもらった。そして搭乗。
乗ったとたんに眠くなったのでいつ飛び立ったのか不明。だって丸24時間以上寝てないし、前の晩も眠ってないものね。
2時間ほどして目が覚め、カップ麺をもらって食べる。昨日から汁気のあるものを欲しがっていたのはずっと乾いたものばかり食べていたからかなぁ。ナイロビの食事はそれなりに水分量もあるから不満はないんだけれどね。
そしてまた眠ってしまった。大阪へは4時間半ほどという表示。歯を磨いてからアールグレイをもらって人心地。C=(^◇^;ホッ!
大阪まで3時間20分。また眠くなってきた。疲労困憊だね。
朝食ですと起こされた。焼きそばを頼んであったが口に合わない。またカップ麺をもらって食べる。脱水症状なのかしら。(^o^)ハハハ
日本人のアテンダントが「ナイロビへはご旅行だったんですか? 」と聞いてきてくれて、いろいろ話すうち昨日のフライトの話になる。彼女も驚いてしまって、クレームを書くのに用紙を持ってきてくれた。ホテルクーポンもアタッチしておくって欲しいという。そして彼女からもリポートしてくださるって。ちょうどエンテベを経由したフライトに搭乗していた韓国系のアテンダントも乗っていて、私のことを覚えてくれていたので、他の日本人アテンダントも交えてこの話でしばらく花が咲いた。って、花を咲かせるようなことではないんだけれどねぇ。(・_・、)
ほぼ定刻通り関空到着。雨。
ドュバイで助けてくださったお三方は、早いほうの羽田行きがウエイティングになっていたのが運良く取れたということで安心。お礼もそこそこに、入国審査、荷物のピックアップに向かう。
税関も問題なく通過。デリバリー・サービスへ。でもその前に一部分荷物を動かさなければ。あまり空港で荷物を広げたくはないのだけれどしかたがない。ゴソゴソやっていたら背後で「お疲れ様でした」の声。アテンダントの皆さんが降りてきてホテルへ向かう途中で声をかけてくださったんだ。「お世話になりました」ともう一度ご挨拶。
さぁ、荷物も送った。次はエアポート・リムジンで神戸へ。運良くすぐにバスがあって、母親への電話もそこそこにバス停へ。
神戸からの乗り継ぎも良好。24時間遅れではあったが、午後8時半頃、無事帰宅。今年の旅行も無事終了。
(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪
特別付録
9月17日
ドュバイでお世話になったお三方、お仕事の旅だったので、ご帰国後はお忙しいだろうから、落ち着かれた頃にお礼のメールを差し上げねばと思っていたら、先に佐古さんからお電話を頂いてしまった。
そして、く(,"0",")>なんてこった!! "
チェックイン・カウンターでも、搭乗口でも、くどいほどに念を押し確認しておられた荷物、三人分全部、ただの一つも届かなかったって!!!
端末をたたいて確認して「大丈夫です」といったのはなんだったの!
私の荷物が二つとも出てきたから、てっきり出てきていたものだと…
ドュバイに残っていたなんて、信じられない。
来年からもこのキャリアを使って良いのかなと不安になる。