Africa想い出部屋

2003年8月28日~10月9日-今年もナイロビ、アパート暮らし!

8月28日 THU
朝から曇りがち。暑さで目が開いた。ヘレナはもう少し寝かせておこうと思ったが、やはり興奮しているのか自分で目を覚ました。
朝食を済ませ、シャワーを済ませ、昨日忘れて眠ってしまったマニキュアをする。最近はすっかりメーキャップ嫌いでマニキュアと香水だけが楽しみだからちょっと気合いを入れてみる。(^o^)ハハハ
メールのチェックも済ませ、TVで池田小学校の事件の判決を聞く。子供を亡くした親御さんが「自分の子供を殺されても、なお死刑廃止を言えますか」という意味の発言をなさっていた。若い頃、死刑廃止論者だったけれど、歳を重ねるに連れ、死刑に賛成はできないけれど、さりとて積極的に廃止を言えなくなってきた。
ヘレナやアイリーンを残してダルをでた頃、あの頃の二人の可愛さを思うと、同じ年頃の子供を亡くした親の気持ちって癒えることはないだろうなぁ。
バスの時間が余り嬉しくないのと、手運びする荷物が多すぎるのとで急遽電車で三宮まで行くことにした。ところがこれが大失敗。関空行きのバスの時間を間違えていた。結局あまり早くない時間に到着。(・_・、)
着いてすぐ、花鈴さんとの待ち合わせ場所を教え、私の荷物をとり、ヘレナの荷物の支払いも済ませてチェックイン。私の荷物、40キロをオーバーしててエクセスの支払いを求められた。キャーッ、1キロ6600円だって!!
とんでもない! 結局交渉してOKして貰った。
それから、ヘレナ一人で夕食をとるのに場所を説明し、時間つぶしするためのお店とかを教えておいてからセキュリティー・チェックへ。オフ・シーズンなんだね。セキュリティー・チェック、殆ど人がいなかった。イミグレはもっと閑散としてて、間違った場所へ来てしまったかと不安になるほど。いつもなら少し時間をとるのに、まぁ、スルッと終わってしまった。
上を見上げるとヘレナが手を振っている。まさか関空でヘレナに見送られるなんて。それにしても、あの子のチケットのせいで振り回されたり心配させられたり、たいへんな2ヶ月だったなぁ。
ラウンジでメールのチェックをし、お茶を飲んでからゲートへ。
さっき本屋さんですれ違った時、ものすごいビデオ・カメラを持っている人! と思っていたらプレスのアームバンドを着けている。出発便なのになぜかなと思いながら機内へ。座って待っているとさっきのカメラマンその他が乗り込んできた。ロケに行くときもアームバンドを着けるのかぁなんて思ってみていたらセイン・カミュそっくりの人が乗り込んできた。
もしかして、これか? (^o^)ハハハ
定刻通りチューブを離れた。5時間半ほどのフライトだ。すぐに夕食。去年のこの線の食事はまずかったけれど、今回はわりと美味しかった。ただ、ビジネスにしては食器がお粗末なのは去年と同じ感想。塩コショウも紙パックなんて、ちょっと情けないなぁ。
クーポンが1万5千円分あったので、エルメスの「地中海の庭」とブルガリの「オ・パフメオー・テ・ブラン」、シャネルの「アクアルミエール」を買った。200円オーバー。なかなか上手な買い物だった。(^^)V
ここのところ毎年ブルガリを買っている。今年の2本はどちらもユニセックス。この手のは甘すぎないから良い。私はディオール派で、シャネルの色物はあまり好きではないけれど、アクアルミエールはちょっと気に入りそう。
さぁあと3時間ほど。ウトウトできるかなぁ。
ヘレナと花鈴さん、ぼちぼち出会う頃かな。ヘレナ、うまくチェックインできたかなぁ。やっぱり心配だよ。同じ便だったらよかったのに。。。ダルの出迎えはエリアスが来るといっていたから安心だけれどね。
9時40分。ヘレナたちの便はもう出たかな。バンコクまであと1時間ほどというアナウンス。結局眠れなかった。
バンコクは晴れ、気温30度だって。暑いだろうなぁ。それにまた空港ビルまでバスだろうし。(# ̄З ̄)ブツブツ
誘導されるままに進んだらデューティ・フリーのあるフロアーに行き着いてしまった。エスカレーターに乗るときから怪しいと思っていたんだ。トランスファー・デスクはどこかと聞いてもぜんぜん通じないよぉ。仕方なくもと来た方へ戻るしかない。尋ねるにも誰もいない!!!
こっちから来てこのエスカレーターに乗ったんだからそのまま進んでみようと歩き出したが心細い。やっと人をつかまえて聞いてみるとこのまだ先だという。進んで進んで、それでもそれらしきものはない。別なアライバルの所まで来てしまったので、誘導している男性をつかまえて聞いてみるともっと先だって。じゃぁ、空港の反対側だったの、私が降りたところとトランスファーデスクは。あと200m程先と言われて頑張って歩いた。
やっと見慣れたトランスファーデスクに到着した。
これでまた聞き取れない英語に悩まされるのかと思ったが、ウインドー・シートね、ラウンジね、って片言の日本語で言ってくれてC=(^◇^;ホッ! テディー・ベアみたいなおじさんだった。さあ、ラウンジまで歩きだ。
デスクに近い方はあの狭いラウンジなので、遠いけれど反対側のラウンジまで歩く。この広い空港を往復だよ。ε~ε~ε~(;T_T)テクテク
ジンジャーエールで喉の渇きを癒やしておいてから、パスワードを貰ってインターネット。ローマ字書きでちょっとレスして休憩。
8月29日 FRI
ちょっと早いけれどと思いながらゲートに向かうともう搭乗が始まっていた。関空からの便が15分ほど早く着いて、でもトランスファーで手間取ってその15分は空港内を行ったり来たりしていたからまたバスで行くのはイヤだなぁと思っていたらゲートの雰囲気がいつもと違う。もしかしてチューブ!?
バンコクでチューブで乗り込んだの初めてかもしれない(*^-^)ニコ
隣の席はなかなかハンサムなムズング。前の方に3人座っている人たちはきっとスワヒリ語を話すだろう。ハンサム君よりスワヒリ君の方がイザという時に助かるんだけれど。(^o^)ハハハ
定刻より若干早めにチューブを離れた。
深夜だというのに車もよく流れていて明るくって綺麗。どこもそうなんだけれど、本当に都市は眠らないんだなぁ。
そんなことを考えながら1時間ほど眠った。朝食、フルーツが美味しかった。スィート・メロン、ウォーター・メロンとマンゴー。
あと1時間半程かなぁ。ヘレナたちも朝食すんだ頃かなあぁ。ドュバイ到着は殆ど同じ時間だものね。シンガポール人だという中国系のキャビン・クルー、とても楽しそうに仕事している。見ていて気持ちが良い。日系のキャリアのクルーの作り笑いと違って本当に楽しそうな笑顔。楽しんで仕事ができるって素晴らしいことだわ。
バンコクまでは揺れなかったけれどこっちはよく揺れる。ヘレナ怖がっているかな。日本へ来るときはものすごく揺れたので毛布をかぶって寝たふりしていたんだって。"寝たふり"っていうのが面白いよね。
Zzz・・o(__*)。。oO(熟睡中)ってか?
定刻より20分ほど早くドュバイ到着。
ゲートを確認しようとしたがまだ表示されてなくって、ヘレナたちが着く前にと思ってお手洗いへ行った。出てきたら、こっちへ向かって歩いてくるのが見えて一安心。6時頃まで、彼女たちはウィンドー・ショッピング、私はラウンジでシャワーと休憩ということに。
エミレーツのラウンジ、また模様替えされている。ダイニングも広くなっていて、PCもたくさんになっている。
今日は人が少なくシャワーもすぐにできた。(*^。^*)
少し休んでからヘレナたちと出会って時間までお茶することに。
7時頃、ゲート・ナンバーは表示されないままボーディングとでた。ヘレナたちと一緒だったウガンダ人が32番というアナウンスを聞いたというので行ってみることにする。でも、32番って1番はじっこじゃないの!?
確かに始まっていた。ヘレナとはここでいったんバイバイ。ナイロビへ来れますように。その前に、このあと6時間、無事一人で過ごせますように。
あらあら、今日はこちらがバスでの乗り込みなの!? チューブがいいよ!!
結局30分近く遅れて出発。5時間ほどのフライトだからある程度は取り戻せると思う。
朝食はチーズをチョイス。朝から何種類ものチーズを食べられるのは幸せだね。焼きすぎのオムレツやスクランブル・エッグより100倍良いね。(^^)V
今10時。あと2時間少々かな。Kの窓なんだけれど翼の上だ。真下が見えないのが寂しいけれど翼のエミレーツ・マークがあるので、もしケニャ山が綺麗に見えたらいい写真が撮れるかもしれない。
あと1時間ほどだしと思ってお手洗いに立ったらケニャ人キャビン・クルーに話しかけられた。スワヒリ語で返事したらビックリしている。彼女はワンジェリ、もう一人の人はワンブイ。キクユ語で挨拶したらもう大喜びで他のクルーに「この人、私たちの民族語まで話すのよ! 」って言っている。話すっていって、挨拶しかできないのに。(^^ゞ
もうケニャ上空だけれど雲が多い。これじゃケニャ山どころじゃないなぁ。
到着直前、見えた、ケニャ山!! 山の向こう側は雲がいっぱいなのに、こちら側は雲がなく、山の姿が頂上まで綺麗に見えた!! ラッキー(^^)V
定刻より遅れて着いたが上空で何回も大きく旋回して着陸待ち。結局25分ほどの遅れになった。それにしても恐いぐらいの旋回のしかただったなあ。
入管は言葉一つなく終了。それにしては時間をとるじゃないか。花鈴さんも何も質問されずに通過。階段を下りようとしてビックリ。去年塞がれていた出口の辺りがまたガラス張りに戻っている。すぐにP-さんを発見。ターンベルトに向かう。私の2個と花鈴さんのをピック・アップしてカスタムへ。「動物を見に来ました」で楽勝で通過。
P-さん、本当に太っている。なんていって良いか判らないほど。
でもそんなことよりともかくイーグルへ。
メゾネット式の2ベッド・ルームに決める。というか、2ベッド・ルームの空きはこれしかなかった。マスター・ベッドルームがセルフコンティンじゃないのが残念というか気にくわないが仕方がない。
ともかく荷物を放り込んでおいて両替と買い出しのため街へ。
ナクマットの前で偶然Nyamburaと出会った。髪を綺麗に編んでとても素敵だった。彼女、美人だからね。
たいへんな荷物を積んでタクシーで帰宅。台所の掃除、消毒。
夜はカップ麺で済ませる。お昼はパサラのサンドイッチだったけれど、特にお腹も空いてなくてこれがちょうどよかった。
8月30日 SAT
朝からヒルトン・アーケードへ。例のインド人のお店でアッコさんグループやmarafiki MLのメンバーへのお土産やキコイを買って、シティ・マーケットの近くではカンガ6組(うち4組は頼まれもの)を購入。
ヒルトンから合流したhashimotoさんと一緒にソーン・トゥリーでお茶。シティー・マーケットを出て、ケニャッタ・アベニューでお昼を食べた。その足で一緒に帰宅。お喋りをして時間を過ごし、夕食は歩いてコリアン・レストランまで。その後街までタクシーで出てアイスクリームを食べ、またタクシーで戻ってきた。結局買い物と食べるだけの1日だった。あっ、プラスお喋りと。
(;゜゜)ヒソヒソ(^^(ノ^^)ノへ(^^ヘ)(^o^)y(¨ )ワイワイ
8月31日 SUN
タクシーでミュージアムへ。花鈴さんに説明しながら館内一周。それなりに広いからかなりくたびれた。
そのせいでもないだろうけれどミュージアムを出たところで転倒、膝を思い切り打ちつけた。 ∥EXIT∥(((((((((((o__)o ドテッ
ベソかきながらトゥナ・トゥリーまで行ったがブッフェをしていなくって、結局ミュージアムまで戻ってタクシーでウエストランドへ。
サリット・センターのフード・コートでチキン・ティカとカバブを食べる。Uchumiで買い物してアイスクリームを食べながらタクシーで戻る。まぁ定番の行動。
夜はhashimotoさんとNyamburaがうちに。一緒にウガリの夕食。
みんな手でこねながら食べているのに、花鈴さんだけがそのまま食べていることにP-さんが気づいて早速食べ方を伝授。やっぱりP-さんのムチューズィは美味しいよね。また太りそうだ。
またまた夜遅くまでお喋り。
9月1日 MON
エミレーツへ、花鈴さんのリコンファームと私のチケットの購入に。
運良くカウマがいてくれたので往復ともにエクセス20キロ追加して貰えた。券面はナイロビ/関空が40で関空/ナイロビが30だから、ラッキー! これでいくら買っても心配ないわ。(^o^)ハハハ
ポスタで切手を買った。渡されるままにおつりを貰って窓口を離れたが、ザザッと暗算しただけで100シル少ないことに気づく。P-さんは、後から言っても認めないだろうから腹立てるだけしんどいのでやめておけというが一応間違っていると言いに行く。
「おつりは400いくらかのはずでしょう。私にくれたのは300いくらかだったわよ。あと100ちょうだい。」と言うと、きょとん・・(*・o・)とした顔をしているから、「300いくら渡したっていうのは覚えているでしょう。計算し直してみて。」と続けて言うと100渡してくれた。
それからツアーの値段を調べ、ナクマットで少々買い物、タクシーで帰宅。
昼食はサンドイッチ。でも安いハムを買ったから美味しくない!!
そりゃそうだ、いつも買っていたのの何分の一か!? ってぐらい安いんだものねぇ。アーアッ、安物買いの銭失いでした。ヾ(__。)ハンセイ…
少し休憩してハウス・オブ・レザーへ。帰り道にスクマを買った。
夕食の準備中、P-さんが指を切ってしまった。Pole!

今日のショック☆<( ̄□ ̄;)>☆ショック
昼食後、出かける直前にP-さんの携帯にヘレナからメールが入り、1科目落としたので行けないっていってきた。ナイロビで出会えると思っていたからドュバイではきちんと別れもしなかったのに・・・。
来れないということもショック大きいけれど、1科目落としたというのもショックだなぁ。何やっているんだよ、ヘレナ! (`-メ)/怒! シバキ決定!
9月2日 TUE
まずブロック・ホテルへ。サファリのブッキング&支払いに。
私たちが支払いに行く間、花鈴さんにはナクマットでブラブラして貰っていたがお土産物やさんで買い物をしていた。(*^-^)ニコ でもちょっと高めかなとも思ったので売り子のおじさんに「何かおまけしてあげてよ! 」といって小さなものをおまけさせた。
P-さんが部屋に財布を忘れていたのでいったんアパートに戻ってからマサイ・マーケットへ。キコイを250にしてもらって4枚購入。
ばったりと神部さんに出会った。今度部屋を訪ねてきてくださるとか。
歩いてヒルトンまで戻って昼食と買い物少し。ナクマットで朝食用のジュースとサファリ用のお水などを購入、タクシーで帰宅。
今日神部さんと出会って年月の流れを感じたなぁ。
最初のサファリの時にお目にかかって、あれから20年以上。その間にも何度もお目にかかったりお見受けしたりしていたが、やっぱり老けた(失礼! )なぁって感じ。こっちだってヘアカラー無しではゴマ塩だもんね。ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆
9月3日 WED
曇り空、マサイ・マラへ向けて出発。ドライバーはモハメッド。
リフト・バレーを下ってナロックを過ぎてゲートまで。ものすごい変わりよう。小さな村というか集落というかがいっぱいできていて驚かされた。
途中、ナロックのいつものお店で休憩したときヘマタイトのバンギリを買う。3個800は悪くないでしょう。(*^-^)ニコ 全部つけると、手を動かすたびに良い音がする。昔アイボリーの重ね付けをしていたときとは音の質が違うけれど、さすが石だから硬い、金属質の音がして風鈴みたい。
ゲートではちょっとアピールして通過。Bwana aliniambia niende nayo lakini nilikuwa ninamharakisha mtoto nikasahau.
これ以上はここには書けないよ。(^o^)ハハハ
9年ぶりのキーコロック・ロッジに無事到着。まぁあまり混んでいないようなのでよしとするか。
夕方のゲーム・ドライブ、最高だよ、最高!! モハメッドがヒョウが樹の上にいるのを見つけてゆっくり観察。他の車がいないから貸し切り状態!!
最初、モハメッドがP-さんに「双眼鏡ある? 」ってきいて、「ないけれど、ビデオのズームをテレ側いっぱいにするとかなり見られる」といってるうちに、「いや、確認できた。バックするよ」との返事。「なに? 」ときいたらヒョウだって。なんでこんなに遠くから見つけられるんだ!?
その後、他の車に情報を上げながら次へ。
ライオンは明日探すの? なんていっている矢先10頭の群れと遭遇。子供がたくさんいて可愛かった。もうはしゃぎ回っているという感じで遊んでいた。
戻り道、今度は8頭の群れを発見。何とも大満足で戻る。
明日のサファリはどうなるんだろう♪
昼も夜も食べ過ぎ。特にデザートがね。
9月4日 THU
レート・モーニング・ゲーム・ドライブ。
始まってすぐP-さんがライオンを発見。牡1頭と牝3頭。でも爆睡中ですぐ近くで私たちがキャーキャー騒いでいるのに気にもかけないで眠っている。
そこから離れて少し行くと他のドライバーからチータがいるという情報が。駆けつけてみると母チータとまだ背中にフワフワ毛が残ったCUBが3頭。すごく可愛いの。何となくお眠っぽい様子でフォンワカ、フォンワカしている。ここでも他の車がいなくって貸し切り状態で観察。
そこから進んでしばらくするともう1頭別なチータを発見。
お腹が大きいので「妊娠中だよね? 」ってきいたら「あとしばらくで生まれるよ」ってP-さんが答えてくれた。
その他にもイランド3頭を見るなどラッキーすぎると思っていたら、なんとヌーの川渡りまで見てしまった。よくTVで見るようなドラマチックなものではなかったが迫力は感じた。
それにしても、渡ったらそのまま進んでいくとばかり思いきや、また逆戻りするのがたくさんいて驚き。やっぱりTVで見る画だけを信じたらダメだな。
P-さんもモハメッドも、ヌーの川渡りはこんな風に行ったり戻ったりするのが普通だっていう。そりゃそうだよね。何も危険なところを選んで渡っていくことはないんだし、ここみたいに渡りやすい所を選んで行ったり来たりって事の方が自然というか、そうしなければバカだよね。
その後ヒポ・プールでカバとワニを観察。
戻り道では今度は数頭のイランドの群れ。本当にラッキーすぎるよねぇ。
モハメッド、すごくよく走ってくれてロッジにもどったときには12時を過ぎていた。4時間以上走ってくれたんだぁ。
ゲーム・ドライブ中、ぬかるみの所を苦労してまいていたときレインジャーに捕まるかと思ったけれど捕まらずにすんでよかった。C=(^◇^;ホッ!
ヒポ・プールの脇の橋のところで若いレインジャーが、降りてきて一緒に観光客を見張る仕事をしようよって笑わせてくれた。(^^)V 本当にそうしたいよねぇ。いや別に、そのレインジャーがマサイのハンサム君だったからっていうんじゃないよ。
そんなわけで楽しいドライブは終了、ロッジへ戻った。
ダイニング・ルームの脇を抜けてお部屋に戻るとき、ウエイターたちがゲーム・ドライブはどうだったってきくから、Tulimwona simba dume akiwa na wake zake watatu na mama duma na watoto wake watatu na pia duma mwingine mwenye mimbaと答えたら大受け。
昨日、ダイニングのテーブルの場所を変えて欲しいと言っていたら、お昼からはテラスの近くの席をくれるって。さぁ荷物を置いてきてお昼だよ。
夕方のサファリはさっぱり。(×_×;)
子ゾウがオッパイを飲んでいたぐらい。でもまたイランドが、それも2回も見れた。1回のサファリで、それもわずか2泊3日でイランドを4回も見るなんてすごすぎるよ。みんなネコ科の大物を見たことしか数えないけれど、レイヨウのなかでも特に臆病なイランドは、見ることも近づけることも少ないからとてもラッキーなんだよ。
ディナーの前にバーでキーコロック・スペシャルを飲む。ラム抜きのソフト・カクテルにしてもらった。つまり、ミックス・ジュースだ。(^o^)ハハハでも、これはなかなかいける。
ディナーは、昨日のシマウマに続いて今日はイランド。見て喜んで食べて喜んで。幸せ。あれ? なんかへんかな???
ディナーのあと、白人の若者5人のパーフォーマンスがあった。日本の歌など歌ってくれたが、なんかヘンだよ、これも。場違いってヤツ。
その後はマサイのダンス。
終わったあと、英語で解説をしていた若者が来て一緒に写真を撮らせてくれた。花鈴さんを嫁に貰うには牛何頭だと聞くから30頭だとふっかけてやった。(^o^)ハハハ
9月5日 FRI
日付が変わるか変わらないかの頃花鈴さんがドアをノック、お腹の調子が悪いという。取りあえず飲み水の追加を渡し、手持ちの薬を飲むようにいう。
でもこんな時間に起こされるとあとが眠れない。グズグズしながら2時間ほど過ぎた頃、アスカリにエスコートされてまたやってきた。
アスカリがいうには、病気のようなのでドクターを呼ぼうかと尋ねたが通じなくて、35号に友達がいるというので連れてきてくれたそうだ。
ドクターを呼んでくれるよう頼んで私のベッドに寝かせるが、苦しそう。
ドクターが来てくれて注射しようということになった。薬を飲ませても吐き戻すと効果がないので注射が一番。本人は使い回しの注射針だったらと心配している。今時使い回している所なんてないよ。(・_・、)
ドクターが注射針を見せて安心させてくれた。ともかく注射して貰って、落ち着いたら飲ませるようにと飲み薬も貰う。
夜が明けたらもう一度見てくれるとのこと。ドクターが立ち上がった瞬間に電気が戻った。夜間は発電を止めるから懐中電灯とろうそくで診て頂いたのだが、電気が点いたということは夜明けが近いということだ。
私は取りあえずP-さんのベッドに横になり、P-さんはイスにかけて夜明けを待つことにする。5時過ぎ、お庭にシマウマが来た。でも喜んでいる余裕はない。本人は注射が効いて眠っているが、私たちは眠れない。
「さっき、ドクターの血圧計が作動しなかったから私たちのを出したけれど、彼女驚いたでしょうね。」
「だと思うよ。血圧計を持って旅している人って少ないだろうからね。」
「私たちは年寄りだからね。」と声を抑えて笑う。
完全に夜が明けて、出発の準備もあるから部屋まで送っていこうとしたら、ドクターも眠れなかったといってダイニング横のソファーに座っていたので、一緒に花鈴さんのお部屋まで行ってもらった。もう1本注射してもらって、飲み薬の追加も貰う。このドクター、とてもよくしてくれた。
支払いの時、通常は私たちと一緒のビルになるのだけれど、旅行保険の請求のこともありビルを別々にして欲しいと頼んだときも、レセプションの女性に指示して書き分けるようにさせてくれたし。
朝食のあと出発。ちょっと時間が遅れているが仕方ない。モハメッドに我慢してもらおう。ゆっくり走ってもらうしかない。
途中、ルテーレと出会えた!! 一昨日、こっちに来るとき彼の車とすれ違ったんだけれど、当然彼は私には気づいていなかったはず。その時P-さんがモハメッドに、私とルテーレは仲良しだって説明してあったものだから、モハメッドが気を利かせて止めてくれた。
車から降りてきて「なんで来るっていわなかったんだよ!? 近頃は手紙もくれなくなった。悪い子になったもんだ!! 」っていいながらハグしてくれた。
またルテーレとサファリしたいなぁ。ほんとうに良いドライバーだから。けれどこのモハメッドも優秀。スーダンのヌバらしいとP-さんがいっていたけれど、寡黙で、でも仕事はきちんとやるし、運転も上手だし、御客に媚びないで直球のお仕事をする人。
2時過ぎイーグルに帰着。お疲れ様。
ちょっと車を汚してしまったりしたので多めのチップを上げて、お礼とお詫びを言った。
取りあえずカップ麺で昼食、シャワーを浴びて休憩することにする。
6時前、上のソーコまでフルーツとミルクを買いに行った。今日は簡単にスパゲティで夕食だ。
9月6日 SAT
朝、両替と買い物に出かける。チェンジしたあとリージェンシーによってザッハ・トルテを食べる。まだ行ってないのはノーフォーク、デラメア・テラスのアイスクリームかな。来週には行こう(*^-^)ニコ
hashimotoさんからTEL。あとで来てくれるとのこと。
しばらくお喋りしてから、お昼寝しているP-さんと、まだ本調子ではない花鈴さんを残して二人でJAVAでコーヒーでもということになったが出かける直前になって大粒の雨が。でもかまわずに出かける。カフェ・ラテを飲みながらお喋りして帰宅。
結局東京で夕食ということになりお寿司と天ぷらうどんを食べる。ちょっと食べ過ぎ。花鈴さんもそこそこ食べている。大丈夫かな。
その後hashimotoさん宅で11時半頃までお喋り。
しゃべり出したら止まらないのはいつものこと。(^o^)ハハハ
9月7日 SUN
10時、イーグル集合でジラフ・センターへ。
キリンの鼻息がかかって臭かった。おまけにハクションしたわけではないけれどフーッとやられたものだから左腕が何となくベトベトして、ウエット・ティシューで拭きまくったよ。
(;>_<;)ビェェン
その後マンバ・ビレッジへ行ってランチ。カンムリヅルやホロホロチョウ、バンゲリ(日本で確かそんな名前で呼ばれていた)なんかがいてニワトリに混じって餌の争奪戦。結構面白かった。
ビーズのアクセサリーを売っているおばさんに話しかけるなり「タンザニアにはどれぐら住んでいたの? 」ってきかれてしまった。やっぱりダル訛りがあるんだ。口を開いたとたんだものね。
その後いったん帰宅。夕食は昨日と同じ東京へ。
揚げ出し豆腐など食べて満足。2日連続日本食というのもいかがなものかとは思ったけれど、まぁ、美味しかったから良いか。(^^)V
ここのおうどんのだし、甘めで、全体に味が濃いとはいうものの結構美味しい。少なくとも名古屋以東で食べるおうどんよりは数倍も美味しい。お勧めかもしれない。
9月8日 MON
P-さんは午前中カリアコーへ。いとこが亡くなったのでそのお葬式の段取りを聞きに。私は到着以来やっていなかった荷物の整理。やっとお部屋がお部屋らしくなった。
午後3時過ぎ空港へ。花鈴さん帰国。チェックイン・カウンターへ行く前のセキュリティーのところで彼女の手続きを手伝いたいからと頼んで入らせてもらう。すぐOKしてくれたけれど、ボディ・チェックの女性担当官が私のピン・ブローチに付いている骨製の象牙型の飾りをアイボリーだろうとかいってくる。もし本当にそう思っているならきちんと手続きをとって捕まえるなり罰金にするなりすればいいじゃない。結局、ソーダが飲みたいとかいってくる。これはプラスチックだよ、ソーダのお金なんてないよと行って通り過ぎたが、大きな声で「この人ソーダを買ってっていってるけれどどこで売っているの? 」って言ってやれば良かったなぁと、帰りのタクシーのなかで大笑い。(^o^)ハハハ
チェックイン・カウンターの女性は感じがよかった。すべてスムーズに終了。イミグレの所に花鈴さんを連れて行き、すべてが終わって彼女が中に入ったのを確認してから外に出た。see you again! (*^-')/~☆Bye-Bye♪
花鈴さんのイミグレの手続きを待つ間、どこの旅行社か知らないけれど「これはエミレーツが悪いんです」とえらく強調して御客に話していたが、それはないでしょう。日本国内でそんな言い方したら無責任だといわれるだろうに。なんで外国だとこういう言い方がまかり通るのかなぁ。航空会社が悪いにしろなんにしろ、引き受けた御客に謝るのはやはり自分とこであるべきじゃないの。少なくとも日本国内だとそうだよ。無論言葉の面とかもあるんだろうけれど、あまりにも旅行社の思うつぼにはまっていませんか? お金を払った以上、旅行社に対して要求するべきはしないと。航空会社が悪いにしろ、それ以前に、旅行社として謝るべきだと思うんだけれどなぁ。
日本人はなんで日本人を食い物にするのかなぁ。ヽ(~~~ )ノハテ?
賢くなれ! 日本人旅行者。
9月9日 TUE
8時頃まで寝坊。花鈴さんがいなくなったらてきめんにだらけている。
朝食の後、たまった日記を書いていたら今10時過ぎ。あと1時間半ほどで花鈴さんは関空到着かな。一人で心細がっていたけれど多分今頃は自信がついていることでしょう。(^^)V
午後からマサイ・マーケットへ。小さな子供たち用のお土産を買って、その後テキストブック・センターへ。30冊ほど買い込んでノーフォークへ移動。
デラメア・テラスで例によってアイスクリーム・ブレイク。ピーチ・チーズケーキとマンゴー・アイスクリーム。290シルは高いといえば高いが、日本円だと500円にもならない。とすると、メチャクチャ安いということになる。
その後シティー・センターまで歩いて、ところどころお店を覗いて、ちょこっと買い物もしてタクシーで戻る。
9月10日 WED
夜中に目が開いてそのまま眠れなくなって、結局、朝食の後またベッドに戻り、お昼頃まで寝てしまった。
お昼はそれほど食べたくなかったので冷凍のサンブサを揚げて食べた。
出かけるのもおっくうでハウス・オブ・レザーへ散歩がてらに出かけていくのだけで精一杯だった。(;>_<;)ビェェン
夜になってからヘレナと電話で話す。22日がテストなのでそれが終わってから来たいという。
9月11日 THU
朝食後ヤヤ・センターへ。いろいろ見て回って、T-シャツの素敵なのが揃っているので後日出直すことにする。
サイバー・カフェがあったのでちょっとだけメールをチェックしてみると、なんとアイリーンはもうダルに戻っているって。7日か14日にそちらに行きたいけれどどうかって書いてある。あちゃー! 今日はもう11日だよ。夜になったら電話してみよう。
そのあとンゴングのUchumiへ。お肉やシュリンプ、チキン・ウィングなどを仕入れてロンドン・タクシーで帰宅。
夜、アイリーンに電話した。結局ヘレナと一緒に来ることにさせた。ヘレナ一人で来させるの心配だもの。ヘレナはアイリーンは恐がりというか臆病だというけれど、臆病なぐらいの方が安心だよ。ヘレナみたいに恐いと思わずにドジ踏むよりは怖がってくれる方が母親としては安心だもの。特に女の子は臆病なぐらいでちょうど良いかもしれない。少なくとも私は臆病というか引っ込み思案だから余計そう思う。
9月12日 FRI
朝から足が痛い。足の裏が痛いのは何でだろう。右足のかかとのところが痛い。右足の方を浮かせて歩かないとダメ。理由は不明。でも確か前にもこんなことあったよね。ともかく明日まで様子を見ることにする。
夕食はシュリンプ・カレー。美味しくできてP-さん大感激。私だってやればできるのよ、日本食以外はね。
でもここのところ食べすぎだよね。ちょこっと押さえなきゃいけないね。
9月13日 SAT
朝食の後ウエスト・ランドへ。
カズリでお土産用のピアスを買い、スピナーズ・ウェブでは母親のお土産に大判のショールを選んで、自分用にはマサイの絵のついたクッション・カバーを購入。ここのは高いけれど品物が良いから嬉しい。ついでにホームスパン・ウールで手編みのライオンを買う。とても可愛い編みぐるみ。
そしてサリット・センターへ。また本を10冊あまり購入。フード・コートでピザを食べていたらhashimotoさんからTEL、あとでここで落ち合うことになって、とりあえずUchumiでショッピング。G階でアイスクリームを食べているところへhashimotoさん登場。つき合ってフード・コートへ戻る。
その後ナクマットのブック・ショップの喫茶でまたお喋りのあと帰宅。
夕食はニャマ・チョマと決定。サグレットはいってみたらなんにも残っていないので、私は初めてだけれど、いつものソーコの前のホテルの所に行ってみた。山羊とクークー、なかなか美味しかった。こっちに来てから2週間、これまで1度もニャマ・チョマを食べてなかったなんて!!
その後うちに戻って11時半頃までお喋り。
お開きになった後、もう寝るのかと思っていたら、P-さん、眠くないからトマト・ソースを作ろうだって。こんな夜中にやることかい? ウ・・ウン(・_・;)
美味しくできあがって、明日のお昼のピザが楽しみってところでもう1時過ぎ。さすがにP-さんは眠くなったっていって、ベッドに潜り込むなりバタンキューだけれど、私は眠れないよぉぉ(;>_<;)ビェェン
9月14日 SUN
朝食の後、昼食用のピザの仕込みにかかる。
シュリンプとモッツァレラ・チーズのピザはなかなか美味しくできあがって、またまたP-さん大感激。私、ちょっと株を上げる。(^_-)-☆
その後することもなくまたハウス・オブ・レザーまで散歩がてらに出かけた。
戻ってくる途中でhashimotoさんから電話、15分のちにうちで会うことに。
出かける段になって雨。それでもアダムス・アーケードまで行ってみた。
車を止めている間にビーズ・ショップ発見。チョコチョコッと選んだら3000シルを超えてしまった。で、肝心のJAVAは雨のせいで満席。しかたなくヤヤ・センターまでいってお茶して、その後サリット・センターのUchumiで少し買い物して戻る。
夕食はチャナ・マサラのつもりだったが、さっきのマサラ・ティーのおかげでお腹がいっぱい。急遽冷凍してあったスクマを暖めてウガリを少しだけ作って食べる。チャナ・マサラは明日のお楽しみ。
9月15日 MON
バスの件を問い合わせに街まで行く。ダルから直で来るのは夜8時頃にこちらに着くそうだ。やっぱり遅いなぁ。アルーシャからのだとお昼頃に着くけれど、でも2日がかりだなぁ。(゜-゜;)ウーン。
ソーン・トゥリーでチョコレート・ガトーを食べたからまたお昼を食べたくない。だって、ケニャで食べるケーキって、日本のケーキみたいにちまちましてないもの。一切れでも充分お腹がふくれるし、甘みだってしっかりしているから満足感が違うものね。サンドイッチの予定だったけれどやめておこう。(^o^)
夜はチャナ・マサラ。美味しくできた。今年はけっこう料理しているなぁ。
数日前に始めたもやし作り、うまくいっている。ダルは暑いから腐ることもあったけれど、ここは涼しいからうまく育つ。できたら野菜炒めを作ろうか、それともラーメンに入れようか。
夕食の後クリーム・カラメルを作る。これは明日のデザート。
でも不思議だなぁ。今まで何度すすめても食べなかったP-さんが、自分でクリーム・カラメル・ミックスを買おうなんて言いだして。本当に食べるのかなぁ。インスタントよりきちんとオーブンで焼いた方が美味しいんだけれどなぁ。
9月16日 TUE
午後からマサイ・マーケットへ。毎週行っているよ。(^^ゞ
マサイの女の人のkinyago、2800まで下がったけれどまだ高い。もっと下がったら買っても良いなぁ。
木製のフレームでキクユ・ガールの絵の入ったのがあって、絵だけ買っても高いのでフレームごと買って、私は絵だけ持ち帰ることにする。フレームはP-さんがママの写真を入れるのにちょうど良いわ。
お金を払ってチェンジを待つ間、これがメチャクチャ長くって、腰掛けたい衝動に駆られた。でも、しんどいからといって座りたくなるなんて普通じゃないなと思っていたら、ぎっくり腰症状がでてしまった。
歩き出したもののものすごい痛さ。ともかくシティー・センターへ戻ってハムを1キロ買って、腰の塗り薬も買って帰宅。
ランチの後、昨日のクリーム・カラメルを食べたが、なんと、6人前ほどの量を一気に平らげてしまった。たった二人で。P-さん、こんな美味しいものをなんで今まで毛嫌いしていたんだろうって言ってる。20年来、私があんなに喜んで食べているのに、味見しなかった方がおかしいンじゃない。
夜、お風呂上がりに腰にお薬を塗ってもらったがこれがまたたいへん。なんというか、被れているみたいなそんな痛さと痒さ。慌ててシャワーで流す。明日違うの買おう。
先日来足の裏が痛くって、それを庇うようにして歩いていたのがたたったかな。元々椎間板ヘルニアというやっかいなものも持っているから大事にしなければ。
9月17日 WED
歩いて街まで出かけようとしてセントラル・パークの近くまで来たとき、誰かに呼び止められた。なんと、ママ・パカだった。2年ぶりだったのによく覚えていてくれたこと。去年、上のソーコの一分が取り払われていて、ママの八百屋さんもなくなってしまっていたから、ほんと2年ぶり。でも元気そうだった。大きなお孫さんもいるけれど、多分歳は私よりも下かもしれないから元気で当たり前なんだけれどね。眞ちゃんからの写真のお礼も言ってくれた。上のママ、ちゃんと渡してくれていたんだ。よかった。(*^。^*)
その後また街で呼び止められた。(*^-^)今度はトゥクトゥクのジョージが、今年はタクシーに乗っていて客待ちしていたんだ。
馴染みの人たちと出会ってちょっと懐かしさにひたりながら買い物を済ませてUchumi前のトゥクトゥク乗り場に行くとなんとカマウがいたよ。(^^)ジョージと二人、去年よく使ったドライバーだ。今日は3人も出会ってしまった。
買い物の時に買ったディープ・ヒートをお風呂上がり塗ってもらったらとても良い気持ち。治ってくれると良いんだけれど。
9月18日 THU
今日はバス・ルームの便器取り替えだって。別に故障してるわけでもないし、取り替えてくれといったわけでもないのに取り替えるなんてヘンなの。まぁ、新しくしてくれるんだから良いけれどね。(^o^)ハハハ
2階のだけでなく1階のも取り替えてくれてスッキリしたが、元はセメントで固定してあったのでそれが汚く見える。なんでセメントで固定なんかするんだろう。盗られないためだろうか。。。どことは書かないけれど、ヴィッキー姉の長姉の貸していた家は、盗られたっていう話だからね。(×_×;)
午後、街でちょこっと買い物して戻る。
夕方からクリーム・カラメル作り。この前のインスタントのものではなく完全手作りバージョン。インスタントのものはゼラチンで固めるから好きじゃない。きちんとオーブンで蒸し焼きにしたヤツを作った。カラメルを作るにはお鍋が大きすぎるがそれは我慢して挑戦。ちょっと柔らかすぎたけれど、すも入らず綺麗にできた。この前のは6人分を一気に二人で平らげたからなぁ。これも多分1回分だよね。(*´▽`*)=3ハアーデリシャス♪
夕食は先日から育てていたもやしを使って野菜炒め。もやしがよくできていたから美味しかった。でも、クリーム・カラメル作りの後、二人でもやしのお掃除というのもしんどかったなぁ。
ヘレナたちが来るときにはマーブル・ケーキでも焼こうかなぁ。アイリーンが「マミーのケーキを食べたいわ」なんて言ってたからね。
9月19日 FRI
思っていたよりは若干遅れてかわいさん到着。旅の疲れなんかまったくない様子。若いなぁ。(^o^)ハハハ
阪神タイガースが優勝したからということで"ネギ焼きせんべい"をお土産に頂いた。前回の優勝の時はタンザニアにいて見てないし、今回はケニャ。次の優勝の時はウガンダあたりにいるのかな、私。(爆)
かわいさん、疲労感もまったくなさそうなので誘って散歩に。行く先はいつも同じハウス・オブ・レザー。距離的にちょうど良いんだよね、ここ。疲れないで戻ってこれるから。
夜はhashimotoご夫妻も一緒にニャマ・チョマへ。山羊とクークー。あぁ、食べ過ぎ。でも美味しかった。
それにしても、なんでニャマ・チョマの所には必ずネコがいるんだろう。もう悲鳴の連続で、別棟のダイニングに移してもらったというか移された。(×_×;)
だって、他の御客の迷惑だよね。
その後部屋に戻ってまたお喋り。チョコ・ミント・アイスクリームを食べて満足さらなり。(^^)V
9月20日 SAT
かわいさん、モンバサ行きに決定。朝からレイルウェイとKQにブッキングに出かけていった。
私、まだ行ったことないんだよねモンバサ。いつも行きたいといいながら行きそびれている。来年こそきっと行こう。それにザンジバルにも行きたいなぁ。
戻ってきたかわいさんが言うには、ウフル・ハイウェイはデモ隊でいっぱいだったって。結局タクシーで駅まで行き着けずに途中で降りて歩いたって。
お昼はデリバリーのピザ。ソーダ付きで195シルは安いよね。日本の一人分で飲み物付き3人分だよ!
列車は夕方なのでかわいさん元気に出発。
夕食は親子どんぶり。これはP-さんのお好みメニュー。三つ葉のかわりにダニアを入れて美味しくできました。(^o^)ヤッター♪♯っていってもインスタントなんだけれどね。私、やっぱり日本食は作れないよぉ。
久しぶりに結腸湾曲部症候群の症状に悩まされて、珍しく夕食後の洗い物もできないままダウン。洗い物を残したまま寝るのだけはいやだったんだけれど仕方がない。
9月26日 FRI
エミレーツへ帰国便の変更に行く。
7日発と思っていたがドバイからの便がない日なので8日出発ということにする。日本着は9日夕方ということになる。
タンザニアとの電話は通じないまま。どうなっているんだろう。まあどっちにしても今更来れないだろうけれど。。。
夜になってやっとヘレナの携帯とつながった。私が二人に送ったメールはどちらも届いてなくって、ヘレナからのメールも私の方に届いていなかったことが判明。システム上のトラブルだったんだなぁ。
結局、テストの日取りが変更になって、日数的に来れなくたったとのこと。残念だなぁ。ヘレナとは日本で2ヶ月ほど一緒に過ごせたからまだしも、アイとは会いたかったなぁ。
9月27日 SAT
朝、P-さんが街まで所用で出かけたので、私は残ってお洗濯と絵はがき書きに午前中を費やすことにする。でも思ったより早く、11時頃には戻ってきてくれてよかった。
hasimotoさんたちと夕食に行くことになっていたので、それまでダラダラとすごそうと思っていたのに、P-さんがまたクリーム・カラメル作りを開始。
P-さんのこのNew Hobbyのおかげで、ここんとこ、ミルク、卵、お砂糖の消費量の多いこと! (爆)
夕食はドラゴン・パールへ。スペアリブが美味しかった。でも、食べ過ぎも良いとこ。4人で6人前は平らげたんじゃない?
その後うちに戻ってクリーム・カラメルを食べながらお喋り。
こんなにお腹いっぱいで、本当に明日のお昼、日本食のビュッフェに行くの? 食べられるの、みんな?
9月28日 SUN
今日のランチは東京のビュッフェ。
夕べあんなに食べたのにまた今日も食べ過ぎ。それにしても、天ぷら、上手にカラッと揚げているのにビックリ。カニも身が詰まっていて美味しかった。昨日のドラゴン・パールでカニをすすめられた時、食べなくってよかったねーなんて話しながら、本当によく食べたよね。
その後お茶して、hashimotoさんちでお喋り。
とてもじゃないけれど夕飯は入らない。それにしても喋ったなぁ。戻ったのは日付が変わってから。
アパートメントまでNyamburaに送ってもらって、部屋に行こうとしたら、エレベーターがまた止まっている。電気はあるのになんでだよぉ。
夜中にまた6階(日本式では7階)まで歩き。死にそうなほどしんどいよ。
9月29日 MON
アイスクリームを食べにソーン・トゥリーへ。
一人、多分ヘミングウェイの頃、スタンレーあたりにいたであろうような白人がいた。痩せ気味で眼光の鋭い、若くも老けても見える、心持ち猫背で歩く長身。ハンティング・ジャケットを着ているから余計そう思わせた。髪がグレイがかっているのも雰囲気作りにはよかったな。
そういえば先日来たときは御客待ちのお姐さんがいたっけ。ここで、あんなに露骨にそれと分かる人は初めてだったかもしれない。まず服装がいけなかったよね。一昔前の日本のアイドルのような黒いミニ丈のドレスを着て、真っ赤なサッシュ・ベルトは後でリボン結びだものね。それで顔を見たらしっかりおばさんなのに。追い払われないようにアスカリに賄賂を渡しているのもばっちり見ちゃったからね。って思い出していたら、そのお姐さん、スタンレーのレセプションで何か話している。今日もすごいお召し物だこと。
夕方から停電。仕方なくSALAMAでクークーでも焼いてもらおうかと出かけたが、20分ほどたった頃SALAMAも停電しちゃったよ。
出がけに、パワーの車がイーグルの前のトランスフォーマの所に着くところだったのですぐに灯くと思っていたのに。。。仕方なく焼き上がったクークーを持って帰って食べることにする。
アパートメントに戻ったら、出がけに電気が点いていた部屋までも消えてしまっていて、ジェネレーターでカバーできている部分だけが点いている。パワーが来なければよかったのにってレセプションの人が笑っている。
また6階までハーハー、ゼーゼーいいながら上って、キャンドルをともして食事。でもぜんぜんロマンチックじゃないよ。
食べ終わってしばらくたった9時半過ぎ、電気復活。
9月30日 TUE
マサイ・マーケットへ行こうかとも思ったが、どこへも出かけず1日中なんとなくグータラ過ごす。
夕方にまたご近所1週コースの散歩に出かけただけ。
もったいないといえばもったいないが、こんな日があっても良いだろう。
10月1日 WED
街でNyamburaとばったり。金曜のことなど話して別れる。
ツナ缶とバゲットを買った。今夜はステーキだからガーリック・トーストを作って、残りは明日のお昼、ツナ・マヨのサンドイッチにでもしよう。
食べるもののことしか書くことがないというのも寂しい日記だなぁ。
そうだ、シティー・マーケットで、昔のあの子がいた。P-さんが見てないので確信はないし、私自身、近くで見たんじゃないんだけれど、年格好といい精悍な顔立ちといいあの子に間違いない。シティー・マーケットの前のところで車をさばいていた。もう全くの大人になっていた。元気にしていてホッとしたけれど、路上の生活からは抜け出せてないんだなぁ。頭の良さそうな顔しているし、あのあたりにいるタクシーのドライバーにも評判の良い子だったから田舎ででも親と一緒に暮らしていればそれなりに落ち着いた生活だったんだろうと思うけれど、でもそれも一概に言えないしね。ともかく元気にしていてくれてちょっと安心した。
10月2日 THU
午後から(^-)_◎ドーナツ作り。
目分量だしSelf Rising Flourは初めてなのでちょっと堅めの出来上がりになった。やっぱり普通の小麦粉とベーキング・パウダーにすればよかった。それでも、ココナツ・シュガーをまぶしたから風味もよくって美味しかった。
点数は、、、まぁ85点かな。90点はつけられないな。
そんでもって例によって食べ過ぎ。だって、出来上がってすぐに食べた上に、夕方のお茶の時間にもまた食べたしね。
10月3日 FRI
P-さんが、親戚の子がカトリック大学のディグリーを受けるとかで出かけていったので、私はNyamburaとビレッジ・マーケットへ。
ものすごい変わりよう。最初は市は立ってないのかと思ってしまったほど。アスカリに尋ねたら連れて行ってくれたが、随分と奥の方に場所が移っていた。でも広くって、みんなかたまっているから良いかもしれない。
まずキコイを4枚追加。欲しかった黒地のものもゲット。でもあと2枚ほど余計に買っておいた方が良かったかなぁ。
ソープ・ストーンの、この前買ったお皿と同じタイプのもの、描いた人は違うんだけれど、ライオンとヒョウを買った。2枚、飾り台付きで1500で購入は悪くない。サイもあったし、買うとビッグ・ファイブが揃うので欲しかったんだけれど、絵がいまいち気に入らなくって諦めた。
でも、全部で5枚、どこに飾る? 団地で狭い家なのに。そう思っていたら、戻ってきたP-さんに同じように突っ込まれた。ヾ(・・;)ォィォィ
ビレッジ・マーケットから街へ戻って、ビアシャラ・ストリートでビーズを買う。
シティー・マーケットまで行き八百屋の前を通ったら、いつものお兄さんがいない。奥にいるのかなと思いながら通り過ぎたら、後から追いかけてきてくれた。後で寄ってねっていうことだったが今日はお野菜買う予定ないしな。
Nyamburaとフルーツ・サラダを食べた。美味しかった。
食べてるとき、物乞いの親子が回っていたけれど、私たちが食べたお店のおばさん、その子にバナナを上げていた。
最初、1本もぎ取って渡そうとして、痛んでるのに気づいて中に戻った。そうすると、からかわれたとでも思ったのか親子は立ち去ろうとしたんだけれど、おばさん「Shika! 」といって渡して上げていた。
P-さんは予定より遅れて4時半頃帰宅。早速けんかを売る!
だって、遅いじゃない。Nyamburaは午後から別の用があったので私を1時前にアパートに戻してくれて、その後ずっと一人でいたんだからね。拗ねまくって、ふくれ回って、当たり散らしてやった。(◎`ε´◎)ブゥーー!
10月4日 SAT
サリット・センターでコレアン・フェスティバルがあるというのでhashimotoさんも一緒に出かけていった。
下のフロアーで「アンニョンハセヨ」って挨拶されたから、私も同じように「アンニョンハセヨ」で返したら韓国の人と思われたらしくハングルのパンフレットをもらってしまった。その後も話しかけられて、無論分からなくって、日本人ですといって大笑い。ということは、発音がよかったのかしら。(^o^)ハハハ
家電品など素晴らしい展示を見てからフード・フェスティバルへ行ってみたがこちらはちょっと食べたいものが見あたらず、他へ行くことにする。
Uchumiでちょっとだけ買い物していったん街へ戻ったが、給油だけしてまたウエストランドへ逆戻り。最終的に四季で韓国焼き肉を食べることになった。あくまで今日はコレアン・デイだ。
満腹!! もう晩ご飯入らないよというぐらい。もっとも、食べ始めたのは3時を過ぎていたからね。
それで、夜はツナ・マヨのオープン・サンドイッチだけにする。それでもたっぷりツナ・マヨをのっけて二切れ食べたのは立派かもしれない。
10月5日 SUN
一日中何となく部屋で過ごす。
夕食はhashimotoさんたちとご一緒の予定。ところが夕方近くになってP-さんが不調を訴える。戻したりして顔色も悪い。多分単なる食べ過ぎと思うけれど心配。だって、今まで一度もこんな事なかったから。
7時頃に迎えに来てくださったけれど、ほんとうに行って大丈夫かなぁなんて心配していたけれど、意外と回復が早く、鉄板焼きを楽しんだ。
それにしても食べ物のことしか書いてないお粗末な日記。
その後うちでお喋り。塩ゆでのチャナ豆をおつまみにした。
10月6日 MON
買い物に出かけていろいろ見て回り、歩き回りしたあと、スタンレーの向かいのUchumiへ入ったところでP-さんの携帯に着信。
ヘレナがかけてきてくれた。「おばぁちゃんに電話したよ! 」って。話が通じたわけではないけれど、「お元気ですか? 」とか「あなたは大丈夫ですか? 」とか聞いたんだって。「おばぁちゃん、笑っていたよ」って嬉しそうに話してくれる。一人でいる母親のことを案じてくれたみたいで嬉しかった。
ナイロビに来れなかったのは残念だけれど、また来年だって会うチャンスはあるしね。
10月7日 TUE
お昼近く、P-さんの荷物をお家に戻すため出発。シティー・センターを過ぎ、かなり行ったところで「鍵、持った? 」って尋ねたら、案の定忘れていた。これで2度目だよ、P-さん。2・3年前にも一度、あのときはお家に着いてからアパートメントに鍵を忘れたことに気がついたんだよ。\(`o'")こら-っ
仕方なく振り出しに戻る。
鍵をとって、さっきと同じルートでお家に。
途中、ものすごいジャムに遭遇。だいぶ進んだところで人垣があると思ったらマタトゥらしい車が事故ってて、側に亡くなった人が寝かされていた。通行人だったのかなぁ。こんな生々しい交通事故現場を見たの初めて。
ダルにいる頃、指名手配中の窃盗団が警察に見つかりロシア大使館前で射殺されていたところは、通りがかったことがあるけれどね。あのときは複数の人が倒れていた。見たくないなぁ、こういう景色。
家に荷物を降ろし街へ。
シティ・マーケットのところでフルーツ・サラダを食べて、それからマサイ・マーケットへ。でも捜し物は見つからずテキストブック・センターへ行ってまた本を数冊購入。といっても子供のお土産用のぬり絵の本などが中心。
その後アパートメントへ戻り荷造り。
60キロもらっているけれど足りるのかなぁというほどの重さ。
本が思ったよりも多かったのとソープ・ストーンのお皿が5枚、キコイなどの布ものが20枚ほどもあるから、そりゃ重いよね。┗(-_-;)┛オ・・オモイ…
万が一60キロを超えていたら笑いものだよね。(爆)
夕食は、シティー・マーケットで買ってきたニャマ・チョマと、ウガリとムチューズィ。そんなに食べられるわけないよ。結局ニャマ・チョマは大半が残ってしまった。明日のお昼に食べよう!
10月8日 WED
今日出発というか、帰国の途に。
最終的なパッキングの途中から停電。でも夜ではないから特に困りはしないだろうとタカをくくっていたが・・・。
まず昼食。ピザのデリバリーをとってニャマ・チョマの残りを温めて食べようと思っていたがグリルがお仕事しない。とりあえずピザだけ頼む。
ピザを待ってる間にシャワー。電気は夕方5時まで戻ってこないそうだから出発前ではお湯がでなくなるかもしれない。
でも気の毒だったのはデリバリーの人。6階まで階段で上がってきてくれた。届く前から「チップたくさん上げないとかわいそうだよね」って話していたとおり、P-さんがちょっと多めに上げた。Thank You, Sirって嬉しそうに帰っていった。こちらの方こそお世話になりました。m(__)m
シャワーも終わりピザも食べ、少し部屋で休憩。
3時ちょっと前、ダイニングに座っていてハタと気がついた。3時半にタクシーがきてくれることになっているが、この重い荷物、どうやって降ろすの?
お部屋の掃除をしてくれている男の子に頼むことにする。私のスーツケース2個とP-さんのが2個。カメラが入っているキャリーだけ自分たちでというか、P-さんに運んでもらうことにする。
3時半頃予定通りアパートメントを出る。空港に着くまでにドライバーが昨日見た事故のことを教えてくれた。死んだのは歩行者だったって。マタトゥは無謀な運転をするし、歩行者も輪をかけて無謀な横断をするからなぁ。
空港到着。まずチェックインを済ませ、それからもう一度外に出て時間まで待つことにする。時間が早く過ぎていく。
18:20の便なのに搭乗は17:20になっている。そんなに早く搭乗することになるとは思わないけれど、デューティー・フリーでアマルラも買いたいし、遅くなったらP-さんが戻るのも遅くなるから5時前には入らないといけないかな。
いよいよお別れの時間。セキュリティーを通ってイミグレへ。カウンターの後のエスカレーターで上に運ばれて行く。P-さんはもう見えなくなってしまった。
また1年の空白かぁ。。。
ゲートを見るとまだまだ時間がありそうだからとりあえずラウンジに落ち着く。一息入れてから搭乗ゲートの横のお店でアマルラともう一つ、初めて見るボトルのお酒を買った。ヒョウ柄の布に覆われたボトルでクリーム系のお酒みたい。ボトルに惹かれて買うことがあっても良いでしょう。
売り子のおじさん、ルイヤっていってたけれど、私が喋るなりダルかって聞いてきた。キクユだよって言って大笑い。ちょっと気が晴れた。
その足で搭乗口へ。セキュリティーを通ってそのままチューブへ。
そして定刻通り18:20、チューブを離れた。
ヘレナ式に言うと"バイバイ、ナイロビ"、"バイバイ、P-さん"だ。
さぁ、日本まで2フライトだ。
ビジネスの1番前のKのシート。でもこの機種、窓側は狭い。アーム・レストが壁と隙間なく設置されているから、機体のカーブがそのまま頭の上に迫ってくる。背の高い人(座高の高い人? )だったらしんどいよね。Jの席が空いていてくれればいいのになと思っていたらオーストラリアへ一時帰国だという白人のおじさんが座ってきた。でもよかった。全員搭乗が終わったときキャビン・クルーが、窓側の席が空いているからよかったらどうぞって言いにきて、移っていった。
どうしておじさん、おばさんって言っちゃうんだろうねぇ。自分もしっかりおばさんなのに、いつまでも自分だけは昔のつもりで周りを見てるよ。
この便、男性のキャビン・クルーが多い。いつもは綺麗な女の人が忙しく動き回っているのに今日は男性が殆ど。特にビジネスとファーストは男性オンリーみたいな感じ。
もうナイロビを離れて1時間、午後7時を過ぎた頃だ。飛行機がでた頃にはもうP-さんお家についているはずなので、多分今頃は荷物の整理か晩ご飯の用意かな。一人だとあまり作りたくないとはいつも言うけれど。
9時半。ナイロビは8時半。もうアフリカ大陸を離れたみたいだなぁ。
夕食を終わってデザート待ち。
シーフード・ミールをリクエストしてあったが、メニューを見るとサーモン・フィレがあるので多分これだろうなと思っていたらシーフード・カレーが運ばれてきた。そうか、鮭は川魚か。(^o^)ハハハ
もっとも、カナッペとスターターのシーフード・メドレーという盛り合わせですっかり満腹していて一口食べただけ。
到着予定、12:10前後で出てくるなぁ。少し早くなっている。ドュバイでシャワーできる時間があったら良いんだけれど。
デザート、ケニャ・ティーのムースが美味しかった。なんとデザートのお代わりまで回ってきてくれた。でもお腹いっぱいで食べられないよ。(-.-)
アラビア顔の男性クルーが私の側のサービスをしてくれていたんだけれど、ゴディバを配ってきたとき、やってくれました。
「私からのチョコレートをどうぞ」って恭しく差し出すの。(*^-^)ニコ
昔BAを使っていた頃は、やはり男性クルーがよくこういうジョークを飛ばしてくれていた。日本人の男性クルーはこういうゆとりがないのよね。無論、ていねいなサービスは認めるけれどね。
あと2時間かぁ。アール・グレイを飲んでいると気分が休まる。でも眠れない。去年の復路で爆睡していたのは、やはりhashimotoさんたちがいたからだ。一昨年だってP-さんと一緒だからやはり寝ていたものね。
ティー・バッグを引き上げにきてくれたキャビン・クルー、やっぱりゲイっぽい。手の動きが何となくそう思わせる。そんなこと考えていたら早く着くかな。(笑)
今はオマーン上空かな。さっき空港で買ったお酒をトートに入れようと上のハット・ラックを開けたら、あとは重くて閉められなくなった。他の御客は寝ているから手伝ってくれる人いないし。(×_×;)
仕方なくクルーを呼びにいこうとしたが、さて、なんと言えばいいの???
カーテンを開けたら、ちょうど食事中だったクルーがスワヒリ語を話しそうな顔をしていた。ラッキー! ExcusemeといったらYes, pleaseとここまでは英語で良いんだけれどその後がね。Do you speak Kiswahili? というとYesと帰ってきた。やったね。ごめんなさい、閉められなくなったのと言って閉めてもらった。やっぱスワヒリ語だね!! KQ、日本まで来るようになるかなぁ。
あと30分ちょっとかなぁ。大阪行きのゲートは22とでた。ラウンジからはすぐ近くのはずだ。シャワーできるよ、行ってみよう。混んでいませんように。
着陸準備であわただしい中、今0時10分前。もうすぐ日付が変わる。
10月9日 THU
ほぼ定刻通りドュバイ到着。
トランジット客のセキュリティー・チェック、全便を3つの機械でさばいているのか!? おまけに、人間のチェックは2カ所しか開けていないから時間がかかること!! その上、アジアからの出稼ぎの人で初めてやってきたらしきグループが、言葉も通じない、システムも分からないで時間を食っている。それに、平気で人の荷物を弄り回るのはやめてくれ!!
とりあえずラウンジへ直行、シャワー・ルームへ飛び込む。アー、さっぱりした。でも、シャワーのあと、汗が止まらない。(;^_^Aアセアセ・・・
お風呂上がりのマンゴー・ジュースは美味しいね。フルーツのブロシェットとチーズ、ブラックカラント・ティーで完璧リフレッシュできた。
便は2時半なので2時20分前ぐらいにラウンジを出てデューティー・フリーへ。やはり欲しかったお酒はない。よく分らないけれど、南ア系のお酒はおかないのかしら。いつ見ても、どれもないわ。
関空行きの搭乗ゲートへ行ってビックリ。日本人の多いこと!! JLとのコード・シェアということで、ゲートにはJLのスタッフもいる。なんと! 搭乗案内は日本語から始まったじゃないの!! 機内には日本人クルーが何人もいて日本語の新聞雑誌もある。でももっと驚いたのは・・・、お夜食にたこ焼きがでていたこと。私はお寿司を食べたけれど、たこ焼き、食べればよかったかな。
。。。。φ"( ̄¬ ̄*)タコヤキクルクル
日本人乗務員が多いせいかお手洗いは比較的綺麗。乗ってから5時間近くたってから行ったときもお掃除の直後だったようで気持ちよく使えた。
トランプをくださいと頼んだら、歯ブラシ・セットやシェービング・セットを一緒に袋に入れてもってきてくれたのにも感激♪
もう日本時間で12:45。ドュバイ出発は02:30(日本時間07:30)だから半分以上きたのかなぁ。長いフライトは久しぶりでしんどいけれど、でもこの早さは魅力だなぁ。あと4時間半ほどで着いてしまうんだものなぁ。
それにしても眠れないのが辛いなぁ。神戸行きのリムジンは良いとして、三田行きのバスで眠ってしまったら困ったことになるよ。篠山あたりで降ろされて、もう戻るバスはありません、なんてね。
電車で帰った方が良いかなぁ。
朝食、といっても日本時間で14:00過ぎだけれど、・ミール・リクエストが通っていたのでシーフード・オムレツが運ばれてきた。でも機内食のオムレツって火が通りすぎていて口に合わない。付け合わせのポテトを食べたがこれも脂っぽい。仕方なくカップ麺を頼んだ。運ばれてきたのはキツネどん兵衛。しかもこれ、関東版かな、味が濃い。それとも、いつも自分で食べるときよりもお湯の量が少ないから濃く感じるのかな。いや、この色の深さから見てもやっぱり関東ものでしょう。半分ほどでギブアップ。
あと2時間程かなぁ。眼下では陸地から離れようとしているのが見て取れる。台湾だな、きっと。
ビデオ・スクリーンではあと42分ほどと表示されている、半時間ほど早く着きそう。でもその後も長いよねぇ。
入管も通関も、質問一つなく終了。何か聞いてくれたらいいのにね。
荷物が出たのが早かったせいもあり、到着予定時間にはスーツケースをデリバリー・サービスへ運び込むのも終わっていた。
三宮行きのリムジンがちょうど良い時間にあったし、三田行きのバスへの乗り継ぎもこれ以上ないタイミングであったし、8時ちょっと前に帰宅。
今年の旅はこれで無事終了。
特別付録
10月9日夜
帰ってすぐP-さんにメールし、シャワーをしてから夕食を済ませた。"戻るなりPCの前"では母親がかわいそうと、しばらくお喋りなどしてからメールをチェック。1500通は超えていたが、その中にすごいものを発見!!
なんと!!!
第1回ホームページ・ビルダーコンテストでグランプリ受賞というメールを頂いていた。
ワォー! やったぞ!