Africa想い出部屋

2001年6月1日~6月22日-21世紀! 早めのナイロビ夏休み

6月1日 FRI
APで買いたいものもあるので当初の予定より早く家を出た。神戸までのバスは平日の午後ということでよく空いていて、道もむろん空いていて早く着いて。そのままリムジンの乗り場へ行くと、予定していたのより早い方もまだ来ていなくって、結局その早いリムジンでAPへ。当然速くつきすぎて時間もてあまし。
さくらラウンジは初めてだが外国人ばかりでちょっとビックリ。提携エアーのお客もいるからだろうが日本人は私を含めて2・3人なので、まだ関空にいるという気がしない。ANAのラウンジに比べてなんとなく狭苦しい感じがする。椅子が多すぎる感じ。
今から最終搭乗時間までまだ1時間ある。先が長いなぁ。ラウンジで一緒だった人と搭乗待ちの時に話し始めたら、アンゴラの方でハラレ在住のWHOお医者さんだった。日本へは会議できてたって。ああぁぁ、英語で話しちゃった! しんどかったけれど、けっこう話せてちょっと嬉しい。スワMLのことや、父親の病気のことなど説明できた。でも透析は単語を知らなかった。思いつくままに別な単語で説明したら分かってくれた。やっぱり英語ができたらいろんな国の人と話せるよなぁ。戻ったら勉強したいなぁ。
JL722は19:27、チューブを離れた。ビジネスはがらがらに空いてて寂しいくらい。10人ほどもいるのかしら。
おつまみにもらった梅風味のドライ納豆というのを意を決して口に入れたら不味かった。納豆というものを食べたことがなかったけれど、想像していたとおりの納豆の味だった。(>O<)カァーッ(-.-)ペッ
ここのところ生野菜、といってもレタス程度だけれど、ぜんぜん食べていなかったからサラダがとても美味しく感じる。メインのスズキのグリルは少し食べただけだけれど、サラダとオードブルは全部食べてしまった。冷製スープも美味しかった。デザートはマンゴー・ババロアとチョコレート・ケーキ。とくにババロアが美味しかった。
機内のサービスというか雰囲気というのは、キャセイやANAの方が好きだな。まぁ文句があるわけではないけれどね。タイ航空とのコードシェア便で機材はJALでスタッフは半々みたいな感じ。若いタイ人らしきアテンダントが一生懸命日本語を話している姿がとてもかわいらしい。
後方のトイレでタバコを吸った人がいたというアナウンス。お行儀が良いの悪いのではない、愚かなヤツ。
穏やかな飛行で10:47BKK到着。いつ着陸したの? というほど穏やかなランディング。その穏やかさのままトランジットのチェック・イン終了。ナイロビまでのボーディング・パスとドュバイでのラウンジのインヴィテーションもここでもらえた。ただし、ゲートのみ不明だからこれは向こうでチェックする必要がある。
免税店の辺りはすごい人。香港に通じる喧しさがある。たまらずラウンジに直行。ファイナル・コールは00:35だから時間はある。それまでゆっくりしよう。
6月2日 SAT
ほぼ定刻にBKK出発。今度はよく揺れる。怖いというほどではないが絶えず揺れている。ベルト着用のサインが出たり消えたり。
6時間ほどのフライトなのに軽食と朝食がでる。軽食は水平飛行に入ってすぐ、リクエストしてあったシーフード・ミールということでオープンサンドが運ばれてきた。一つはツナでもう一つはカニかま。シーフードねぇー。(-_-;ウーンでも私好みのたっぷりバターでしっかり残さず食べてしまった。
朝食はメニューが配られるときオファー・カードが渡されて、フルでとるかコンティネンタル、或いはジュースとコーヒーだけというように選べる。フルはとてもじゃないし、機内食の卵は嫌いだからコンティネンタルにチェックした。
いつの間にか眠っていたみたいでざわついた音で目が覚めたら朝食。ヨーグルトが美味しかった。フルーツ(パパイアとグレープフルーツ)はまぁまぁ。軽食の時のパパイアとグレープフルーツはとても美味しかったのに。そうそう、特筆すべきはパン。今まで機内で食べたパンのなかでもトップ・クラスかもしれない。ということで、このコンティネンタルの朝食、平らげてしまった。2食制覇(? )は20年を超える海外旅行の歴史のなかで初めて。でもここ2・3年ほど、機内でよく食べるようになった。メインは今でも食べないけれど、オードブルとサラダ、デザートはだいたい食べ終わるものなぁ・・・。
ドュバイまであと1時間弱。隣のアラブが戻ってきた。行儀が悪いからイヤになる。そして今は香水の匂いがキツい!! お線香の箱の上で香水瓶を割ったような匂い。こんなのは香りじゃないよ、臭い!!
その隣のアラブが話しかけてきた。しばらく話していたらタンザニアへは行かないのかと聞いてくるから「タンザニア? 」と聞き返したらそうだって。なんと、タンザニアのムヒンディだった!! それではとスワヒリ語に切り替えて喋りはじめた。やっぱスワヒリ語っしょ。(^^)V
あともう少しでドュバイ。3時間半ほどのトランジット・タイム。シャワーでもしよう。
さっぱりしたところで日本人の女性がいらっしゃったのでご挨拶しておしゃべりしはじめたら、なんと、しうさんのお知り合い。おまけに神戸のこともご存じで高取神社の話まで出てビックリ。世間は狭いというか・・・。そんなこんなで出発までおしゃべり。快適なトランジット・タイムでした。(*^-^)ニコ
機内は空いてて快適そう。かなりハンサムくんのアテンダントがこの席の担当者らしく、もう一人は反対側担当のようだがスワヒリ語を話してる。安心!
定刻より若干の遅れでチューブを離れたが滑走路では離陸待ちがキューになっている。エミレーツはうちが3機目。まだだいぶかかりそう。これだと30分以上遅れることになる。でも取り戻せそうな時間だけれどね。
離陸して7分ほどで土の色が2色になっているところに来た。赤い土のところは割と平坦で、灰色っぽいところは地形模型のように起伏がある。
ドバイを出てから1時間ほど経った。地面は白けた感じだがよく見えない。でも道らしき直線がいっぱいある。それにしても人家のようなものは何も見えない。それに、その道のほとんどは途中で途切れてる。途切れたところにも家のようなものもその他のものも何も見えない。不思議。
また朝食を食べたが、またまたチーズとフルーツ。この組み合わせが私には一番良いみたい。さっきラウンジでも朝ご飯と称してチーズを食べたし、この前の内科の検査結果は大丈夫だったとはいえ、こんなに塩分をとるのは良くないなあ。ちょっと自制しなければと思うのだが。
あと4時間ほどでナイロビ。ちょっと眠い気もするが眠れそうもない。今は眼下にワジが何本か見える。大きな涸れた川。でも雨期が来て雨が降りそうな風には見えないのに、いったいいつお水が流れるのだろう。木一本ない。
洗面所から戻ったらまた地形模型状態。皺だらけの大地。ワジが何本も走り、深い谷、浅い谷がいくつも続いている。やっぱり雨水で浸食されているのかしら。この辺りも緑豊かだった頃があるのかしら。そうした頃にはビッグ5がここにもいたのかしら。
9:12(ナイロビ・タイム)、今地面には道が全くない。アラビア半島上空のはずだが皺を刻んだ大地だけ。涸れ谷が続くだけ。
やっと涸れた川の両側が黒っぽいところを見つけた。木が茂っているのだろう。ということはやっぱり雨期に雨が降っているんだ。でもよく見たら土の色が違っているだけのようにも見える。降りて、あの大地を踏んでみたい。そんな衝動に駆られる。ここもグランド・キャニオンのように朝日や夕陽の時間帯には美しいんだろうなぁ。
1時間ほどして目が覚めたらまた地面の様子が変わっている。起伏がずっと少なくなって、いやどう言えばいいのか、、、変化がないのではなく、刻まれようが浅い。高低差が少なくなっている。そう思ったところで雲が視界を遮った。
雲の切れ目から見えるところには人がいる。反射しているのが家だと思う! たくさんある。雲に入るまでは荒涼としていたのに、1分経つか経たないかで大地が背の低い緑に覆われて人が住んでいる。人間ってすごい。自然もすごい。
11:04川が流れている。赤茶色い水が見える。今はエチオピア上空かなぁ。
11:42あともう少し。眼下は平らな大地。起伏らしい起伏はなく、ワジもそれかなと判る程度。灌木があるのだろうか、何となく緑っぽい一帯。ワジは人間の血管系のように広がっている。もうケニャに入っていると思うけれど、ソマリアとの境の辺りかな。11:58遠くに山が見える。ピークは見えないけれどマウント・ケニャだと思う。雲が具合良く切れてピークが見えた。私のマウント・ケニャが!!
あとほんの少しでナイロビだ。
ほぼ定刻に着きそう。ドュバイ/ナイロビもよく揺れた。お茶をもらったとたんに勢いよく揺れて半分以上ソーサーにこぼれた。機体が落ち着いて入れ直してくれたが、お砂糖を入れたとたんにまた半分こぼれた。
ここはどこだろう、シャンバが広がっている。湖だか池だかが見える。たぶんキクユ・ランドの真上にいるんだ。雨は十分に降っているんだ。いたるところにお水が見える。
降りていく、降りていく。なんの畑だろう、きれい。こんなに緑がゆったりしてる景色って久しぶりだなぁ。
ナイロビだ! 今年も戻って来れた。ジェシーの訓練も見える。着陸!! P.M.12:13
イミグレは問題なく通過。外にはP-さんやhashimotoさんが来てくださってるのが見える。荷物のピック・アップを待つ間に両替を済ませる。そして通関へ向かおうとしたところで呼び止められる。そんなバカな!
バンコクはトランジットだけで入国していないのに、ポリスと名乗る女性がチケットをチェックして、私がバンコクで1泊してるという。そして、荷物チェックだといって、なんと麻薬やなんかをチェックするところへ連れて行くではないか。そして、それも一番奥まで連れて行かれて、荷物を全部チェックされて。結局何ももっていないということで戻してくれたが、お金が欲しいんだったらもっとなんか言ってくるだろうし、なんだったんだろう、あれは。イヤな気分だったなぁ。
hashimotoさんの車でsegawaさんのお宅へ。他にお客もあったので、hashimotoさんご夫婦と私たちとでランチに出かける。食べ終わった頃segawaさん合流。そしてナイロビNPのウォーキング・サファリへ。といっても結局は動物園なんだけれどね。でも良くできてる。
6月3日 SUN
午前中は車でウエストランドへ。本などを買う。初日から本の買い込みとは。
お昼は久しぶりにグレイトンでサマキのフライを食べた。ウーン、アフリカ料理だね、このカリカリに揚がった魚のフライは。そのあと買い物にまわった。
夜はsegawaさん、hashimotoさんご夫妻も加わって5人でエチオピア料理へ。初めて食べるインジェラはなかなか美味しかった。というか、インジェラではなく、料理そのもの美味しかった。主食という面では、インジェラよりはチャパティやナンの方が私は好きだ。食事のあとエチオピアのダンスもあった。すごい迫力で踊ってくれる。初めて見たが圧倒される。それに、エチオピアの人はきれいだし、衣装も可愛いし。食事は「また食べたい! 」というほどのものでもなかったが、このダンスはもう一度見たいかなぁ。
6月4日 MON
朝、P-さんのビザ用の写真を撮って、その足でhashimotoさんのオフィスへ、それからEKへと段取りしたがお店が閉まってて写真が撮れない。仕方なく先にオフィスへ。それから写真、EKと周りノーフォーク・タワーへと戻る。前後してsegawaさんもご帰宅。着替えて大使館へ。運良く担当の領事ともお目にかかれて、書類を提出。6日に結果を問い合わせるようにいわれて大使館をあとに。
昼食に出かけた日本人クラブでhashimotoさんとバッタリ。
食後、キツイへ戻るsegawaさんと別れて用を片づけた。
毎年のことながらP-さんの知り合いと出会って、別れたらまた別の知り合いと出会って忙しいこと。お茶を飲みにヒルトンへ入ればまた別の知り合いが。でも、昔なじみのベル・ボーイたちはほとんどがリタイアしてしまっている。年取ったなぁ、みんな。
夜はお腹が空いてなくってバナナを食べただけ。ヒルトンで食べたココナツ・ケーキも残してしまったもの。
ソファでウトウトしてたらhashimotoさんに電話するはずの時間が過ぎてしまって、逆にお電話頂いてしまった。」\(TT。)ハンセイ・・・。
6月5日 TUE
ゆっくり起きだして朝ご飯。一息入れてからテキスト・ブックセンターへ。また少し本を買い込んでからジュア・カリへ。何も買わずに戻ってきた。
バティックも、今までのような原色っぽいのではなく、茶色の濃淡で色合いは気に入ったのだが、作品そのものはプリントという感じだった。色なんかはとても気に入ったが、とりあえずやめにした。
それからウチューミへまわって、ムチューズィ・ミックスなど購入して帰宅。
昼食のあと少し洗濯。
夜になってヘレナに電話したら学校が始まったせいでエリアスが反対してるって!! もう!! 学校が始まるぐらい判っていたでしょうに、なんで今更・・・・
6月6日 WED
昨夜はすごい雨だった。集中豪雨かと思うぐらい。朝になっても空は真っ暗なまま。今日は昼前に大使館へビザのことを問い合わせなければ。
2時過ぎに大使館へ行ったらビザがもらえた。よかった!!
その足でEKへ。私のチケットは今回はワン・ウェイにした。今リターンを買うと6月までに戻ってこないといけなくて、それはちょっと不可能と思うから。来年は呼び寄せを使うなどすればいいのだし・・・
土曜のディナーをG・リージェンシーのテリウム・ガーデンで予約する。すごく素敵な感じだよ。おしゃれできないのが寂しいけれどね。ここに住んでたらとびっきりおしゃれしても良いかも。
6月7日 THU
お土産を買いにカズリへ行く。
ヘア・クリップを10個ほど買ったが、50個あまりの中から、それぞれに似合いそうなものを選んだ。みんな自分のファッションがあるから選びやすい。私の友人で没個性的な人って少ないから、こういうとき、とても便利。(*^-^)ニコ
そのあとABCへまわってソーセージを買いにいったが、先によった八百屋さんで買ったアイスクリームが美味しかった。クルフィもあった!
夜、ヘレナと電話で話したら、アイリーンが電話してくれたって聞かされた。きっと私たちが出かけていたときにかけてきてくれたんだろうなぁ、残念。
6月8日 FRI
街での買い物のみ、
シティ・マーケットの裏手のおみやげ屋さんで、動物の形のバナナ・リーフの小物入れを買う。1個950シルというのを値切って、3個1000シルにしてもらった。そのあと2階へ上がって、ソープ・ストーンの盛り鉢、色柄の素敵なのがあったので、2500シルというのを500シルにして貰って買う。高いなとも思うけれど、色柄が気に入ったから良しとしよう。買い物、なかなか良好に進んでおります♪
夕方、ヘレナと話したあとアイリーンに電話。二人ともずいぶん大人になってて本当にビックリする。最後に話したのは数ヶ月前だけれど、会ってない期間が長いからすごく懐かしい。
夕食はhashimotoさんご夫妻も加わって楽しかった。Nyamburaのエチオピアのビデオも素晴らしかった。色が出ないのが残念だったけれど、ビデオ・カメラのモニターと見比べながら見て、話が弾んで11時半まで。危険な時間帯まで話し込んでしまったこと、ちょっと(__)/ハンセイって、反省が多すぎる。
6月9日 SAT
スピナーズ・ウェブへお土産を探しに。老師と眞ちゃんにいいお土産を見つけ、ついでに自分用も買って、おまけにカズリでエッグ・スタンドを、それも格安で見つけた。ちょっと満足。なっちゃんたちのお土産もウチューミで見つけ、お土産関係ほぼ終了。
segawaさん、hashimotoさんご夫妻を招待してのディナーはリージェンシーのテラリウム・ガーデンへ。メインのお料理はインド風でとても美味しかった。残念だったのはデザートのクリーム・カラメルを逃したことかな。
おしゃべりも弾んだし、楽しかった。Nyamburaも楽しんでくれたみたいで嬉しかった。
6月10日 SUN
午前中、ウエスト・ランドのナクマットまで買い物に出かけた。お土産用になにかと思って探したが、結局ジャムを買っただけで、あとは毎日の食品や飲み物を買っただけで終わり。
家に戻って昼寝をして、夕方からP-さんはマトケを作り始めた。私はパズルを解いてのんびり過ごす。
マトケは、チャガ風のンディズィと同じタイプのレシピで美味しかった。
6月11日 MON
朝、9時頃まで寝てしまった。ゆっくりとした朝食をとりながら、お天気も良いし家にいるのはもったいないからどこかへ行こうということになって、ゾウの孤児院へ行った。
生後4ヶ月というのが、いたずらというかやんちゃというか・・・。3頭いたのは全部メスということだった。一番小さくやんちゃなMweaが私のいた方へ倒れかかったもので名誉の負傷。膝の真横を軽くすりむいたと思っていたらお風呂に入ったらすごくしみた。プラス打ち身。これはかなりひどく、青あざになっている。
逃げ遅れてたら新聞ダネになっていたかもしれない。「日本人観光客、子ゾウに襲われ負傷」なんてね。(^o^)ハハハ 4ヶ月とはいってもゾウだからね、ハンパじゃない大きさだもの。ほんと、場合によったら骨折してたかも。
ゾウの皮膚、生きているのに初めて触ったけれど、赤土だらけで皮膚に触れたという実感はあまりない。大地に触れた感じ。それに、子ゾウの全身を覆っている産毛のような毛は、けっしてウブゲではない。剛毛だった。白人の観光客がしっぽを触ったら怒っていた。当たり前だよね。
売店というか、出口のところでバナナ・リーフでできた小さな動物のセットを見つけてちょっと高かったが買ってしまった。600シル。まぁ、寄付の意味もあるから良いか。
一度戻ってお昼を食べてから、車を洗いに去年のところまで出かけた。洗車を待つ間去年と同じお店に入ったら、チャガのウェイトレスが、私たちが入ったとたんに気がついて駆け寄ってきてくれた。チャガ語で挨拶だけして、あとはスワヒリ語で少し話した。今日は日差しが強いせいか頭痛がするので隣のお店で頭痛薬を買って飲んだ。
夜になってアイリーンと話したが、やっぱり学校の許可が取れないとのことで、二人がナイロビに来るのは絶望と判った。もう今年は会うのは諦めようといったが、アイリーンが泣きそうな声で「マミー、ダルまで来て。お願い」というので切なくなってしまい、彼女からヴィッキーの電話番号を貰い、かけてみた。ビザとチケット、こちらの準備ができればヴィッキーのところで泊まるということで話がついた。
P-さんのママの具合もかなり悪いので、明日ナクルにいってみてから最終決定しないといけないが、見通しとして、明日ナクルへ、明後日水曜にビザの取得やチケットの購入、日本への帰国便の変更などをしておいて、金曜にダルへ、日曜日にナイロビへ戻って、来週水曜日にナイロビを出て帰国。これぐらいが、今、最良と思える。
6月12日 TUE
早起きしてナクルへ。7:10出発。ナイロビを外れてすぐ、いつもよく霧がかかるところで濃い霧に遭遇。それもかなり広い範囲で。やっと霧が晴れてしばらく快適。しかしヒーター付きで走るほど寒かった。リフトバレーのビュー・ポイントの手前からまたすごい霧。それこそ先行車も見えなければ対向車もすぐ近くに来るまで判らないぐらい。
むろんビュー・ポイントは売店と柵しか見えない。ずいぶん広い範囲で濃い霧に覆われていたが、それでも追い越していく無茶なドライバーや、この濃い霧の中無灯で走る無知なドライバーがいて驚かされる。やっと霧が晴れたと思って走っていると、対向してきたマタトゥがバスを追い越してうちの車線に入ってきた。こっちがスピードを出していなかったから路肩から外れて難を逃れたが、スピードが出てたらと思うとゾッとする。それに、もう少し前後した場所だったら、下に落ちていたよ。ちょうどこの場所だけ、左が崖じゃなかったんだから。
途中の道ではクロトキやカンムリヅル、シマウマなどが見れてちょっとしたサファリ気分も味わった。
ロンゴノットは、やっと晴れた霧の中から出てきてくれた。エレメンテイタ湖はフラミンゴがたくさんいて、きれいなピンクの帯が何本か見られた。
10時頃、ウォーターバックHへ到着。ここでP-さんの用が終わるのを待つことにする。
12時、ナクル出発。途中キコペイというところでニャマチョマを食べた。これがとびきり美味しかった。今まで食べたなかでたぶん最高。他のところはたいてい焼きすぎというかしっかり火が通ってて、レア好きの私には物足りなかったが、ここのはミディアム・レアで本当に美味しかった。残ったのを包んで貰ったが、もう一皿分買い足して明日のお昼用にすることにした。
そのあとは快適にとばして3時過ぎに戻る。
夕食はインド料理。これが美味しいのなんの! パパドゥはトマトのダイスとダニアが散りばめてあるのだが、トマトがまったく苦にならずに食べられた。ローガンジョシュもプロウンズ・カリーも美味しかったし、ビリアニも良くできてた。デザートのクルフィは日本のものよりもトッピングが多くって面白かった。スパイス・ティーは日本のインド料理屋さんのよりもスパイシーで、日本のは香り中心のスパイス使いだけれど、こちらのは辛みもきいたスパイスで食後にはぴったり。満足、満足。ごちそうさまでした。
6月13日 WED
エミレーツで帰国便を変更、ダルへの便の予約を入れてから、シティ・ホールへP-さんの黄熱病の予防接種のために出かけた。そこからタンザニアのハイ・コミッションへビザ申請に。30分ほどで発行してもらえた。なんで駐日大使館は時間がかかるんだろう??? ここの方が日本でよりももっと数多く発行してるだろうに。
そのあとアンボセリへのツアーを探してから戻る。
お昼を済ませてからウエスト・ランドへ。戻ってきたらまた暴動情報。50人ほどのストリート・チルドレンが暴れているそうだ。昨日は大使館の裏手で20人ほどといっていたが、そういえば昨日ナクルへ行くときからなんかストリート・チルドレンがかたまってるなと思っていたし、今日もいくつかのグループでかたまっていたから気になっていた・・・。昨日の暴動も子供たちだったのかしら。
夜遅くになってからヴィッキーに電話したら、急に(当たり前か)お葬式が入って、どうしても土曜日にルショートへ行かなければならないという。他のことと違って、これは行くなとは言えないし・・・。
アイに電話して、ホテルを手配させることにする。ヘレナと3人で金曜からホテルで2泊すればいいわけだ。でも夜の便だから二人に空港へ出迎えに来させるのは心配だし、私と3人で、タクシーでホテルへ行くのも心配だし。明日もう一度アイに電話して、エリアスを来させることができるかどうか、言わせてみよう。
6月14日 THU
ダル往きのチケットを買いにいったら、カードの認証がおりないという。そんなバカな! 出発前に限度額は200万にして貰っているから残高不足というわけはないし・・・。まさかどこかでカード番号が盗まれて不正使用されたかと思い、同じ会社の別のカードでやって貰うとOKがでる。ますます気味が悪くなって慌てて家に戻ってカード会社にTEL。問題ないとの答え。認証がおりない方が不思議と言われ、電話で認証を取ってもらうようにとのアドバイスをもらう。旅行社に戻って事情を説明する。
そのうち旅行社の人がエア・タンではなくBAのコードを入れると簡単にOKがでて、トラブルは私のカードではなくTCのコンピュータらしいと判明、チケットを発券して貰った。P-さん曰く、「TCに断られた! 来て欲しくないんだ!! 」
ロンドンくんの月曜のサファリのブッキングもして家に戻る。
夜、アイに電話したら、繋がったと思ったらすぐ切れてしまった。そしてそのあとはまったく繋がらない。試しにエリアスにかけてみると繋がった。迎えに来いと言ってやったら、アイたちがいれば大丈夫だって。本当にこいつはどんな親なんだ!? !? ヘレナとアイに電話をかけ直して終了。よく聞き取れなかったが、どうやらアイはカリブ・ホテルをとったみたい。あそこならロブスターが食べられるかもしれないね。
6月15日 FRI
午前中はとくに用もなく、昼前にデラメア・テラスまで出かけていった。ストロベリーのミルフィーユが食べたかったがストロベリーがないということでカシュー・ナッツのアイスクリームを食べた。
そして部屋に戻って夕方の出発を待つ。
segawaさんが戻って見えて、空港まで送ってくださることになって一安心。P-さんは空港からsegawaさんと一緒に戻ってもう1泊させて貰うことになった。二人でウガリを作るって。
空港でお茶を飲んで6時過ぎに中に入ったが、イミグレで、なんで何回も来るのかと聞かれた。他の国のスタンプがないからかなぁ。何も悪いことしてないのに。
6:42、ダルからの飛行機が到着。この調子なら定刻につけるかもしれない。
6:58にファイナル・コール。定刻に出そうだ!!
オイオイ、定刻前に動いたぞ! 19:20頃テイク・オフ。機内での緊急時の案内は最近ではどこでもビデオだったりするけれど、アテンダントが昔ながらに実演して見せた。
さあ、1時間10分の夜間飛行。もう眼下の明かりは星みたいに小さい。7時30分のフライトだから軽食ぐらいは出るのかなと思っていたらミシカキが出た。チキンが1本とビーフが1本。それにフライド・フィッシュが一切れ。久しぶりにエコノミーの狭いシートで、小さなトレイで配られたミシカキ。ウーン、ビジネス・クラスに慣れすぎてしまうのは良くないな。
たまたま隣のシートが空いていたのでアーム・レストを起こして横幅はゆったりしたけれど、いかんせん、シート・ピッチが狭い。日本人の私の足でこんなに窮屈なんだから、足の長いアフリカ人には相当キツいだろうなぁ。もっとも、短足のアフリカ人もたくさんいるけれどね。
そうそう、キャセイではいつも荷物を上のキャビネットに入れる入れないでもめるけれどTCのおおらかなこと。大きな荷物を二つ持ち込んだ人がシートの上に載せていても平気で離陸する。
なんとなく、ビバ・アフリカ!! イエーッイ!
そうこうするうちにもう8時になる。ダルまであと20分ぐらいかなぁ。もう遠くに灯りが見えているが、あれがダルかしら。あともう少しでアイリーンやヘレナに会える。
P-さんたちは今頃ウガリを食べているのかなぁ。
一つ心配は、ケニャからの出国のチケットをナイロビにおいてきてしまったこと。帰りのナイロビで問題にならなければいいんだけれど。
ベルト着用のサインが出て降りはじめた。あともう少しだ。
早く着きすぎて子供たちが来ていない。ちょっと心配になるが動かずに待つことにする。ダルに着いて、飛行機を降りたとたんにドキドキしていたのだが少し落ち着いてきたので両替に行く。1万円変えたら5万シルも来た。
ビューローを出て少ししたらアイリーンが来た。「アイリーン、本当にきれいになったね! 」と言ったら、「私はヘレナよ」って言われてしまった。
アイは急に会社の行事が入ったのであとから来るということでひとまずホテルへ。
Mnazi mmoja の小さなホテルで、日本でいうビジネスホテルの感じ。悪くない。
土曜日は授業は休みと思っていたのに1時まで学校だって。
でも、ホテルに泊まり慣れてる感じがするのが不愉快だなぁ。私がいないから生活が乱れているのかなぁ。しばらく話して夕食ということになったが二人ともお腹が空いていないのでフルーツ・サラダをお部屋に届けて貰うことにする。食べ終わってしばらくするとヘレナは寝てしまった。
6月16日 SAT
いつの間にか眠ってしまって、ノックの音で目が覚めたのが4時前。アイリーンが夜中のこんな時間に。ダルは、治安面はナイロビよりはましとはいえあんまりだよね。去年のミス・コンでスポンサーになってくれた企業でバイトしてて、そこのパーティだったということだが、きれいになってるだけに心配。少しだけ話して、ともかく寝ることにする。だって、明日っていうか、今日も午前中は仕事だって。
アラームが鳴ってもヘレナは起きなくて、結局学校を休んでしまった。なんてこと!?
アイは9時から仕事だっていうが今はもう9時じゃない!? もうビックリ・マークばっかりだね。それからシャワーして、お化粧して、10時になってしまった。彼女は朝食はとらずに出かけたのでヘレナと二人だけで朝食をとることにしたが、ウェイターは、遅い時間に現れた私たちにかなり不満な様子。
朝食のあと、サルーンへ行きたいというヘレナのお供。そのあと街へ。
ラッキー・バザールへ寄ると、チャールズ兄は留守でユーニス姉だけがいたが、数年ぶりの再開で話が弾んだ。途中で、お店の前に泊まった車からこっちを見て笑っている青年がいるので、あれは誰ってヘレナに聞いたらデビッドだって!! ナオミの結婚式の時以来だから10年以上になるのかしら。あんなに小さかった子がこんなに大きくなっている。年取るわけだ、私。
サモラ・アベニューをアスカリ・モニュメントへ向けて歩く。ずいぶん変わっている部分と、昔と同じ部分があってビックリする。Salamanderもなくなっていて、トムのオフィスがあった建物もなくなっている。一人だと面食らうところだった。
シェラトンは、ここ1ヶ月ほど前に売りに出て名前が変わったとかで、ロイヤル・パームという名になっていた。中へ入ってチーズ・ケーキを食べ、プール・サイドで休憩する。ヘレナの遊び慣れた雰囲気が気になってしかたがない。もっとも日本だって今の若い子たちはこんなモンなんだろうが。
部屋に戻ってしばらくしたら、下に友達がいるからと出て行ったきり戻ってこない。7時過ぎても戻ってこないしアイリーンからはなんの連絡もない。とうとう頭に来てしまってホテルをかわることにする。荷物を持ってタクシーに乗り込もうとしたらヘレナが戻ってきた。外のお店で友達と話していたらしいが、ともかく叱りつけてembassyへ向かう。レセプションで、予約はしてないが部屋はあるかと聞くと「レジデントだね」というからそうだと答えた。
4万シル、8千円ほど。ドルだとたぶん120ドルぐらいをいうんだろうな。手持ちのシルはたりないし、もう両替したくなかったので、1泊だとカード払いはできないというのを粘りたおしてOKさせた。
それにしても、子供たちはどんな生活をしてるんだろう。タレントやモデルにスカウトされる子はある程度、昔でいえば不良といえばいいのか、目立つ子供だという持論が真実味を帯びる。ミス・コンに出たというのも、けっこう遊んでて目立っていたからではないかとますます心配。でもスポンサーになってくれた企業は一流企業だし、ヘレナのバイト先はBBCだから、悪いところではないのだが。昔、私自身がモデルにならないかと声をかけられたときも、不良ではなかったが目立っていたと思う。子供たちも不良ではなく単に目立っていただけであって欲しい。
6月17日 SUN
5時過ぎに目が開いた。東の空は少し明るくなっている。P-さんももう起きた頃だろう。チェック・アウト・タイムは11時でリポーティング・タイムは1:15だから1時頃までの2時間、暇をつぶさないといけない。日曜だからお店は開いてないだろうなぁ。朝食を食べたらムエンゲへ行ってみようか。ダルにはもう2度と来ないかもしれないし、できればテディーやアンナにも会いたいし。クリスやボブも気になるし。
雲が多く、にわか雨のあった昨日と違ってきれいな雲。でも、量が多いからまた午後から降るかもしれない。
embassyは、昔は高級ホテルだったはずなのに今は落ちぶれていて、他の部屋の物音もよく聞こえて、ドアが開く音がまるで自分の部屋のように聞こえて落ち着かない。まぁレジデントの料金で泊まってるのだから許したけれどね。朝になってからは廊下で、もうハウス・キーパーたちが動いているのかガラガラガッチャーン! という音などがして、まだ寝てたら怒っただろうなと思う。やっぱりタンザニアは変わっていないのかなぁなんて、変な風に感心する。
6年ぶりのタンザニアの感想・・・・来なければ良かった。。。。。
TVでは子供の教育について話している。親はお酒を飲んでお肉を食べてはいても子供を学校へやるお金がない。教育は人間の権利なんだから子供は学校へやらねばいけない。そう、そうなんだよね。それが義務教育なんだよね。
朝食から戻ってしばらくしたら子供たちが訪ねてきた。叱る部分はきつく叱って、彼女たちも自分たちの今の生活を話してくれた。やっぱりかまってやるものがいないから、いい意味でも悪い意味でも自立してるから仕方ないのかもしれない。置いてでたことは悔やまれるが、私の実子ではないのだから連れて出ることはできなかったことも、今の子供たちには解っている。それでも一緒に行きたかったと、ぽつんと言うのが辛かった。部屋で2時間ほど話して街へ出かけた。
朝ホテルに来る前に二人が買ったサンダルとおそろいのを買ってくれようとしたが、サイズが多きいのしかなく、アイが自分用に選んでいたのを私にくれた。同じものを明日自分用に用意して貰うように話をつけたらしい。
シティ・センターへ戻り、ピザを食べ、ブラブラ歩きでembassyへ。ホテルの前できれいな布地を買う。両端はフリンジで処理されているからこのまま使える。赤い布地で素敵。手持ちのカンガはハンパになったり古びたりだからカンガでも良かったんだけれど、こっちの方がもっと良い。
預けておいた荷物を貰って空港へ。すごい人。KQは満席なんだろうかと思ったら便が輻輳しているんだ。EK、TC、KQ、おまけにムアンザ方面へ行く便まで。どおりで混んでいるはずだ。
子供たちをいつまでも空港に止めておいてもしかたがないので何枚か一緒に写真を撮って街に戻るようにさせた。できたら来年はナイロビで会おうねといいながら。
入ってすぐにセキュリティ・チェック。例によってピーと鳴る。何を持ってるのと聞かれ、たぶんこれと思うとバンギリを指さすとそのままOKが出た。ボディ・チェック無しで良いの? そんな簡単なことで良いの?
チェック・インカウンターの女性が、チェック・インする荷物は? っと聞くのに、スワヒリ語で無いと答えると「KIWIAだから、そりゃスワヒリ語よね」と言ってくる。あなたはチャガ? って聞くとそうよという答え。チャガ語で挨拶したらすごく喜んでくれた。近頃はスワヒリ語を話す人が多いからキルーガでないと喜んでもらえないものね。シートは窓側でA列が欲しいといったら9Aにしてくれた。少し遅れそうだがそんなに悪くない。
定刻より3分遅れでチューブを離れた。機内食はビーフ・サンドイッチとカスタード・ムース。美味しかった。添えられたオレンジ・ジュースの他にコーヒー、紅茶や冷たいドリンクのサービスもあった。
4:10頃、キリマンジャロが見えた。A列だし翼の上、それもちょうど良いアングルだったので急いでデジカメをとりだして、よく撮れたと思っていたら・・・眼鏡をかけずにやっていたので気がつくのが遅かった。ダイヤルが動いてプレビュー画面になっていた。アッ! と思ったときはもう山は後ろに行っちゃった!!
でも目でしっかり見たよ、キリマンジャロ。ケニャに来るときはケニャ山も見れたし。日本へ帰るときには夕闇の中にケニャ山が見えるはず。そこでもA列を取ってもらっているから。
もうぼちぼち下降するのかなぁ。あと15分ほどだ。案内ではほぼ定刻の到着のようだ。空港にはP-さんとsegawaさん、ロンドンくん(kojimaさん)が出迎えてくれていた。
家について明日のことを相談、アンボセリへ1泊で行くことにする。
6月18日 MON
朝、3人でツアー会社へ。ブッキングを済ませ、支払いの段になってずいぶん待たされた。飽き飽きしたので、P-さんがやってくれてるのを良いことに外に出たら。駐車場にルテーレがいた。最初、ジェイコブって呼びかけたら反応が無くって、人違い? そんなはずないよ・・・と思いながら大きな声でルテーレ! って呼びかけたら振り向いてくれて、オー!! てな具合で二人で抱き合って再会を喜ぶ。アンボセリに一緒に行ってよと言ったら、明日サンブルのツアーにでるのでダメだって。残念。キハニャからルテーレは辞めたって聞いてたって言うと、なにかの間違いだろうって。知ってたらツアーを調べに来たときから指名してたのに。
で、ドライバーはムアンギという人に決定、ノーフォーク・タワーまでピック・アップに来て貰う。予定よりもかなり遅れたがナイロビ出発。久しぶりのサファリに胸が弾む。
いつもどおりナマンガでサンブサ・ブレーク。美味しかった。
アンボセリ・ロッジに到着後、かなり遅い昼食を取る。私たちが遅すぎたのかビュッフェではなくセレクト・メニューで楽しみが半減。
しばらく休憩してからゲーム・ドライブへ。雨のせいでいつもと比べてやや緑っぽい草原で、シマウマ、ゾウ、ヌー、みんなそこそこの数いる。ゾウに道をふさがれて2度ほど立ち往生するが、ライオンも見れたし、ヌーの頭を運んでいくハイエナの群れも見れた。喉のところが血で赤く染まっていた。予想どおりというか、希望どおりというか雲が切れてキリマンジャロが姿を見せてくれた!!
ディナーの前にバーへ行ってロッジのオリジナル・カクテル"マサイ・ママ"を飲む。バーのスタッフにP-さんが聞いたら今日の宿泊客は13人だって。それにしてもマネージメント最悪だよ、このロッジは。
ディナーのあとマサイ・ダンスがあった。踊っている場所が暗いのでもう少し明るい方へ移動してくれるよう頼んだら、庭へおりて踊ってくれることになった。ロンドンくんに「おりてきて一緒に踊ろうって言ってあげて」とマサイの人たちが言うのを伝えて、私も一緒におりていった。シャンガを首にかけて貰い、ブランケットも掛けて貰って一緒に踊ったが楽しかった。きっとシャンガ売りつけるんだろうなと心配していたらそういうこともなく、一緒に踊ったお礼を言って引き上げていった。良いマサイさんたちだなぁ。
6月19日 TUE
一泊だけのサファリだから今日はもうナイロビに戻る。朝のゲーム・ドライブの時、ロンドンくんの希望でマサイの村へ行った。
英語を話すモランが案内役になって家の中や薬草、火おこしなど説明してくれた。
家の説明の時は、囲炉裏の側のベッドに腰掛けて説明を聞いたが、火の暖かさが心地よかった。
外の木陰に移って薬草の説明を受けた。薬草(彼はハーブと呼んでいた)、全部、直径2~3センチの木の枝だった。これはマサイのバイアグラです、なんて説明が面白かった。やっぱり観光ずれというのか、笑わせるツボを心得ている。
火おこしはサンブルと同じやり方。ロバの糞やゾウの糞が繊維が多くてむいているということだった。あっという間に火がついた。"あっという間"に違いはないのだが、しんどい仕事だ。火おこしは男の仕事で、その後、火を守るのは女の仕事になるそうだ。
火おこし棒をくれというと売ってやるという。サンブルはいつもくれると言ってやる。だって、本当にいつも貰っているんだもの。他の人には売りつけているだろうけれど、私にはいつもくれるからね。
お土産をカンガに広げてみんなおとなしく待っている、お行儀の良い村だった。ロンドンくんはバンギリの値段交渉を成功させた。村を出るときに、もう一度あの火おこし棒の話をすると「村の方へもう一度戻ろう」といって連れて行かれた。ロンドンくんも欲しくって値段交渉をしたそうで、それで彼の前で私にくれることができなかったみたい。村に戻ったところで内緒だよっていってくれた! ラッキーー!!
ロッジに戻って朝食をとりナイロビへ向かう。途中ナマンガで休憩したとき、キクユにムラタという名前があると聞いてびっくり。おみやげ屋さんの人たちと買い物もせずに喋りまくって楽しかった。
ナイロビへ戻ったのは3時。冷凍のサンブサ程度でお昼を済ませ、夜のCarnivoreに備える。
7時頃、hashimotoさんご夫婦が来てくださった。5人でゲームミートを含めたくさんのお肉を満喫。話したりないということで家でまた話し込んで、お開きは12時を過ぎていた。
6月20日 WED
朝食のあと、キツイに向かうロンドンくんをバス・ターミナルまで送る。中は危険ということで、車をガソリン・スタンドに停めさせて貰って私はそこで待つ。
そして家に戻って、カリユキが迎えに来るのを待つ。
いよいよP-さんと二人で日本へ向けて出発だ。鍵をアグネスに預け、出発。
いつもはチェック・インのあと外に出るのだが今日はそのまま出国手続き。搭乗案内がでてるので私が先にセキュリティ・チェックを済ませたところで、ビジネス・クラスの人は急がなくてもいいといわれて、もう一度戻ってラウンジへ。最終的に呼び出しがかかるまでそこで待つ。
二人でいるせいか安心感が強く、日記を書いて気を紛らわせる必要もなく、なんとなく知らない間にドバイ到着。
ラウンジへ行く前にご近所へのお土産のテンデを購入。ナツメヤシのドライで、種を取り除いて、かわりにアーモンドを入れてあるヤツ。これ、美味しいし値段も手頃で、なかなかの優れもの。
6月21日 THU
ラウンジでP-さんはウトウトしている。私もいつもと違ってかなりリラックス。眠れないのには違いはないが疲労感が違う。
搭乗案内があっていよいよバンコクへ。
機内では、少しウトウトした。
バンコク到着。先に私が入国手続き終了。ところがP-さんがどこか他へ行けと言われている。どうしよう!? 私、ちょっとパニック。待ってて、すぐ来るからといってどこかへ行ったが、どうして良いのか判らなくなって、でも動いたらいけないと思って待つ、待つ、待つ。やっと戻ってきて、入国手続き終了。私は不要なんだけれどP-さんはイエロー・カードの提示が必要だったのでヘルス・コントロールへ行かされたということがあとで判った。
エアーポート・ホテルへチェックインしたときにはもう精神的にクタクタ状態。すぐにバスを使って二人でお昼寝。
ミール・クーポンを貰っていたので夕飯を食べに、タイ料理のレストランへ。P-さんはタイのビールを試してみたが美味しくないって。でもお料理は美味しくって満腹。部屋に戻ってしばらく休憩して空港へ。
チェック・インを済ませ、空港税用に両替してと思いながら歩いていたら、なぜか私はそのまま係員に中に入れられてしまって、続いてP-さんを入れようとしたその係員、タクスが未払いだということに気づいて、私も引き戻された。
両替して、タクスを払ってセキュリティを通過、出国ロビーへ。
お土産用、といっても自分たち用だけれど、お酒を買うのに免税店へ。買う予定だったブランデーとウィスキーに、都合良くキャスター付きのバッグがおまけにつく。スーツケースを関空からデリバリー・サービスにかけるつもりだけれどお酒は手持ちになるから辛いなと思ていたところなので大歓迎。買い物をさっさと済ませてラウンジへ。出発までちょっと一息。
6月22日 FRI
バンコク出発。あともう一息。
ウトウトしたものの、熟睡とまではいかない。
関空到着。まずは入国審査。私はむろん問題なし。P-さんが手間取っている。なにか盛んに質問されている様子。心配になって近くまで行くと、来てくださいと審査官に呼ばれた。で、事情説明をしてスタンプを貰った。良かった。問題はここだけ。荷物は、何も問題になるものは持ってないから心配に及ばずだものね。
荷物のピックアップが終わり、先に私が税関を通過。立ち止まってP-さんを待とうとしたら「立ち止まらないでください。終わった方は出てください」と追い出されてしまった。ところがP-さんが出てこない。いつまで経っても出てこない。反対からは入れないからどうして良いか思案に暮れて、それでも待つだけ。審査で咎められるようなものは何も持っていないはずなのにどうしたんだろう。私たちが知らないだけで、持ち込みが許可されないものって、何かあったんだろうか。
どれぐらい待ったのか判らないぐらい時間が過ぎてやっと出てきた。なんと! バッグを開けるようにいわれて鍵を持ってないってことに気づいて、連れ、つまり私が持っているといったら「鍵を壊しても良いか? 」と聞かれたそうだ。それでOKしたら別室に連れて行かれ、そこで鍵を切って中をチェックし、何も問題がないということで通関を終了したという。「鍵、あなたのウエスト・バッグに入れたじゃない! 」
ナイロビで荷造りしたとき、私のと鍵を交換して自分のバッグに入れたのに、それを忘れて"持ってない"と思ったのだ。デリバリーにかけるには鍵が必要だし、慌ててコンビニに走り鍵を調達。そしてデリバリー・サービスのカウンターに持っていき発送。
これで旅は終わり!!
それにしても、バンコクといい関空といい、かなり心臓に悪い旅だった。