Africa想い出部屋

2000年7月31日~8月22日-20世紀最後のナイロビ夏休み

7月30日 SUN
予定より若干早く自宅を出る。家を出たとたん、晴れているのに大粒の雨が降ってきてバス停まで大急ぎで歩いた。もしかしたらこれで3年連続して出発時に雨に降られてるような気がする。三宮からAPリムジンで関空へ。
ちょっと空港内をぶらつき、軽い内容の文庫本を2冊ほど買い、コンビニでも少々買い物してホテルへ。いつも帰りに泊まるときには予約してあるのより大きなお部屋を用意してくれているのだが、今回は往きの予約しかしていないのに大きなお部屋を用意してくれていた。それはありがたいのだが、今回は狭くてもいい・・・、花火が見えるサイドのお部屋が欲しかった。
でもツインのお部屋だったのでラブ・ソファーもあって結構快適だった。
7月31日 MON
早い時間には結構眠かったのに、夜になると眠れなくなって、うつらうつらしているうちに朝になってしまった。ウルルンを見ずに寝た方が良かったのかも知れない。
5時過ぎにシャワーをして、とれてしまった足の付け爪を張り直すのに接着剤を開けようとしてピンで指をついたら信じられないほどの大出血。太い安全ピンで思いっきり突いたからかなり深く突き刺してしまったのかも知れない。出血はともかくバイ菌が入らなければいいけれど。
6時過ぎ、朝食を取るためレストランへ。でもまったく食欲がない。朝食がとれないというのは珍しい。紅茶さえ飲めない。大丈夫かなぁ、、、ちょっと不安だが、まぁいいだろう。どうせこの先はブロイラー状態なんだから。
ANAのラウンジは凄く寒かった。冷房を緩くしてくれるよう頼んだがやっぱり寒くって、カンガを出してきて巻いていたら慌てて毛布を持ってきてくれた。それでも寒くって、でも体がだるくって搭乗ゲートのところの硬い椅子には座りたくなく我慢していた。少し眠りたかったが、このまま眠ったら凍死するぞ! 状態だった。風邪をひいたようで、すごい頭痛も始まった。お薬はチェック・インした荷物の中だし、機内で頼んでもらおうかな。
バファリンを貰って飲んだら、何となくウトウトしてしまった。おかげで少し楽になった。食事は毎度の事ながらオードブルしか食べないのだが、体調が悪いから食べないのだと心配して下さったようだ。香港到着直前パーサーが、機内用のマスクやティー・バッグ、キャンディーなどを持ってきてくれて、まだ先が長いから気をつけて下さいと言ってくれた。こういうところ、やっぱり日本のエアー・ラインは細やかでいい。
香港/ドバイを関空でチェック・インしたからラウンジのインヴィテーションを貰っていなかった。カウンターで交渉しないといけないのかなと思いながら空港ビルに入るとCXのスタッフが私の名前を持って待っていてくれた。カウンターまで案内してくれてラウンジのインヴィテーションを発行してくれた。楽勝。広い空港内を探し歩かなければいけないのかと思っていたからホッとした。英語ねぇ・・・やっぱり使えるに越したことはないよね。でも、ビジネスのチェックイン・カウンターまで案内してくれたCXの男性スタッフ、けっこう訛りの強い英語だった。
ラウンジでスパイシー・ヌードルを食べて、そのあとシャワーをした。熱いお湯を浴びると気分がすっきりした。眠いのに眠れない状態のまま時間を潰す。
今日の搭乗ゲートは48番だからラウンジからは凄く遠い。いつもはこの前からなのに・・・。トラムに乗って移動しないといけない。3時50分から搭乗だから、3時頃になったらラウンジを出て免税店を覗いてみよう。
歩き出したら急に体の力が抜けて、まるで雲の上という感じになった。お店を覗いても何も見えないというか、自分がどこにいるのかも判らないような状態。ともかく搭乗ゲートへ進もうとした。遠い、遠い。ラウンジのある2番ゲートからは建物のちょうど正反対の位置になるから、進んでも進んでも近づかない。トラムに乗っても夢見心地だが、倒れるわけにはいかないと力を振り絞る。一人旅だったから頑張れたが、友達がいたらきっとダウンしていただろうな。幸い予定より早く搭乗を開始してくれていたので、ゲートに着くとそのまま機内に入れた。熱っぽい。食事も全然取れないし、シートに座っているのがやっと。アテンダントに頼んで、解熱剤を貰って飲んだ。
お薬のせいか少しウトウトして、目が覚めたときには熱は下がったみたいだった。良かった。でもあとフライトが5時間ほど残っていて、ドバイで6時間のトランジット。大丈夫だろうか。
ギャー! ドバイがまた変わっている。一瞬ドキッとしたが、ゲートではまた名前を持ったスタッフが待機しててくれ、トランスファー・デスクまで案内してくれた。それは良いのだが、やっぱりその時点ではチェック・インできず、レポーティング・タイムを指定された。
それまでラウンジで休みたいと思って尋ねても、トランスファー・デスクを教えてくれるだけ。それも、レポーティング・タイムに行けって。それまで5時間近くあるのに・・・。
香港からの便が1時間も早く着いたのが、これでは裏目だ。座る場所はたくさんあるけれど、楽そうな椅子はない。エミレーツとガルフのラウンジはあるんだけれどと思いながら、トランスファー・デスクの確認だけしておこうと歩き出したらビジネスクラス・ラウンジというのを発見、尋ねたら使用できるという。良かった、これでゆっくりできる。
オットマン付きの椅子を見つけカンガを被って横になる。また熱っぽくなってきた。
レポーティング・タイムになり、ボーディング・パスを貰ってから、デュティー・フリーのお店を見ようと思ったがやっぱりしんどい。ラウンジに戻ってまた横になる。
8月1日 TUE
1時40分頃KQが着いた。ということは、出発は少し遅れるかも知れない。これに乗って、5時間飛んだらナイロビ。1年ぶりにP-さんに会える。
搭乗を待っているとき、5人グループの日本人の若者と目があってご挨拶したら、ポジ-アフのメンバーだったので驚き。そして、やよいさんのお友達だというのでなおビックリ。カクマのキャンプにボランティアとして入るという。若いうちにこういう風なことをしようという若者がいるというのを聞くと、まだまだ捨てたものじゃないなと思う。カクマは過酷な土地と聞くから、体に気をつけて頑張ってきて欲しい。
KQのシートが良くなっている。もともとピッチが広くって凄く楽だったのに、フル・フラットに近くなってて「横になる」という感じで眠れた。いつもは移動中は眠れないことが多いが、今度は機内もトランジット・ルームでも、ほとんど眠りっぱなしだ。その分、いつも以上に食が進まない。
今、ナイロビ時間は5時40分。窓の外は夜が明け始めている。もう1時間ほどかな。出発が少し遅れたのだが、ウトウトしていたのでどれぐらい遅れたのか判らない。
アテンダントのお姉さんというかおばさんというか、去年の帰りの便と同じ人だった。そういうと彼女、「だからだわ。顔を見たとき、知ってる人みたいだけれど、どこで会ったのか分からないと思っていたの」という。道理でさっきからこちらをチラリチラリ見ていたはずだ。
20分ほど遅れてナイロビ到着。またチューブではなくタラップだ。やめて欲しいなぁ、荷物が重いのに。
PPTコントロールは凄い人。到着が何便か重なったらしい。それならそれで係りを増やしてくれればいいのに。あとはビザの件が問題なく過ぎてくれればいいのだが。「Jambo! 」と挨拶したら「オハヨウゴザイマス」と頭を下げてくれたからちょっと安心。Nimechoka! と言ったところでMuda gani? と聞いてきたから「30時間以上」と答えてから「あぁ、滞在? 3週間です」と答えた。そうしたら笑いながら「30時間以上もかかったの? そりゃぁ疲れたでしょう」と言いながらパスポートを返してくれた。良かった。
ターンテーブルで待たされた、待たされた。昨年の帰国の時の関空を思い出して寒くなったところでやっと小さい方の荷物が出てきて一安心。1個出てきたら他のも着いてるはず。しばらくたって次も出てきた。カスタマーに並んだら、先頭の人が何かトラブったらしく他の列へ回れと言われた。係りのおじさんがこっちの列に行きなさいと言うのでそれに従った。係りの女の人に小さい方のカバンを開くようにいわれた。そりゃそうだろう。一人旅で、大きなスーツ・ケースが一つとキャリー型のケースを二つ、それプラス、ハンド・バッグだもの無理ないけれど。ともかく開けたら、服や身の回りのものだけ。「本当に個人のものね」と言いながら、もう一つのキャリーも開けろという。クソー! っと思いながら先のキャリーを閉めるのに手こずっていたら、彼女、勤務時間が終わったのか、他の人と交代して、私には「もう良いわよ」と行って立ち去った。そこにさっきのおじさんがきて「まだいたの? 」って聞くから「荷物を開けさせられた」といってぼやくと、Pole! と言ってくれた。
外に出ると、P-さんが待っていてくれた。とりあえずお茶を飲みながら話そうとカフェテリアへいったが、ジュースは飲めたがチャイが飲めない。どんなに体調不良でもチャイが飲めないなんて事は滅多にないことなのに・・・。
タクシーでヘロン・コートまで行く。APを出たところで、キリンが数頭とガゼルを見る。今年は動物は見に行かない予定なので、これがもしかすると唯一の動物体験かも知れない。それにしても、他の日本人がいると見れないのに、P-サンと2人だけの時には必ずと言っていいほどキリンを見る。不思議だ。
ヘロン・コートでは顔なじみのスタッフが迎えてくれた。荷物を部屋に運んで貰うなりベッドに倒れ込んでしまった。かなり熱があるようだ。寒くって震えが来る。頭痛もひどい。APのカフェテリアでお薬を飲んでいたから、目が覚めたときには熱も少し下がったもよう。
お昼になった。持ち込んだラーメンはあるし、食器もお鍋もあるのだが、台所洗剤とスポンジがないからどうしようもない。ともかくタクシーで街まで行くことにする。パサラでサンドイッチを食べて、もう一度頭痛薬を飲む。ウチューミについた頃には熱は完全に下がった感じになって、頭痛もだいぶおさまってきた。ジュースやベーコンなどの朝食用の素材をウチューミで買い、シティー・マーケットで野菜、果物、お肉、卵などを買う。でもフラフラで、毎年行く八百屋のお兄さんのところで、店先の椅子に座り込んでしまった。買い物はみんなP-さん任せで、何をどれだけ買ったのか記憶にない。
タクシーで戻り、夕方までまた眠ってしまった。お薬のせいか、いくらでも眠れる。
夕食はラーメンを作った。全部食べられた。明日は元気になりたいな。
お風呂から上がってまたそのまま寝てしまった。
8月2日 WED
P-さんも風邪気味で、2人とも夜中に頭痛で目が覚めてしまった。私はお薬を飲んだが、粉薬だったのでP-さんはいやがって飲まなかった。そのせいか、いつも早起きのP-さんが7時頃まで眠ってた。私はその頃には頭痛もおさまり、2人でゴソゴソ起き出して朝ご飯。マンゴーと、昨日八百屋のお兄さんに貰ったパッション・フルーツ、美味しかった。でも、なんで今頃こんなにマンゴーがあるの。
朝ご飯のあと、また昼までベッドでウトウト。お昼ご飯は何にしようということになり、P-さんにビーフ・サンドを作ってもらって食べた。そのあと街へ。
昨日は往復ともタクシーだったが、今日は行きは街まで歩いた。元気になっていたので八百屋のお兄さんは喜んでくれて、今日はバナナをくれた。
お兄さん、いつもなんやかやとくれるのは良いが、あんたのところの野菜の値段、他のところよりもかなり高いの、私は知ってるよ。(^o^)ハハハ
ナクマットで包丁やしゃもじを買い、ウチューミで昨日買い忘れたジャムやお砂糖を買う。
外に出たところに、いつものストリート・チルドレンがいた。また一段と大きくなっていた。どこかで盗みでもしたのだろう、手を切られたようで不自由な感じになっていたとP-さんがいう。小さかった子がだんだん大きくなって、あの子は本当は良い子のはずなんだけれど、こんな生活を続けている。切なくなる。帰りのタクシーのなかでP-さんとドライバーが話していたが、他の子と違ってあの子はとても良い子で、病気になったときも、他の人からよくして貰っていたそうだ。他の人から好かれていると、そんな話を聞くとよけい切なくなる。小さい頃からなかなかのハンサムくんで気だても良い子だから、田舎で普通に生まれ、普通に生活してれば、幸せだったろうに。
ヘロンに帰って、もっと切ないものを見た!! お部屋の掃除に来たおばさん、トイレの中に入って、便器用のブラシで便器の中を擦って、そのまま便座も擦るではないか! 言葉を失ってしまった。注意する言葉も思い付かず、P-さんをベランダに呼んでかくかくしかじかと話す。P-さんも絶句。明日から、トイレも自分たちで掃除しようかという話になる。
8月3日 THU
コンファレンス・センターに行ったら、全国規模の生徒たちの音楽コンクールがあるとかでいろんな制服や衣装を身につけた子供達がいて、中にはとても可愛い女の子のグループもいて、カメラを持たずに来たのが悔やまれた。明日もあるそうなのでカメラを持ってきたいなぁ。公演会場は入場料がいって、カメラとビデオの持ち込みは別料金だって。カメラはともかく、ビデオの1500シルはいくら何でも高すぎると思うけれど、、、、。
家に電話を入れてから、KQへ行って帰りの便のチケットを購入。それからウチューミへ行き、チョコレートやピラウ・マサラなどを買ってヘロンまで戻る。今日は往復とも歩き。
お昼はカニ・チャーハン。といっても、日本から持ってきたチャーハン・ミックス使用だが。お昼を食べてから昼寝。なんか1日中寝てる感じがする。。。
今日はお湯がでなかったからシャワー出来なかった。
8月4日 FRI
ブックポイントでスワヒリ語の本を買う。P-さんが買った本も含めて32冊だって! でもけっこう良い本が手に入った。英・スワの辞書も買ったが2000シルは高くないかい!?
本屋さんへ出かける前、つまり朝食のあとまた眠ってしまった。ナイロビの気候は人を眠くさせるのかしら? 日本だと昼寝をすると夜は眠れなくって往生するのに、ここだといくらでも眠れる。食っちゃ寝、食っちゃ寝で太らないわけはない。とくに昼食のあとの昼寝なんてお相撲さんのような生活、反省しなければいけない。
4時前にsegawaさんから電話、急用で帰国なさってた由。道理で連絡が取れないはずだ。その上PCの調子も悪かったそう。でも連絡が取れて良かった。かわいさんたちの到着もオフ会も、明日と思っていたら明後日だって!!
電話を切ってすぐあとにまた電話。私宛のFAXがあるとのことで部屋まで持ってきてもらう。hashimotoさんから、かわいさんのメールがMLに流れたからと連絡してくださったのだ。文面によると、なんとhashimotoさん、今日ナイロビに着いて、同じこのヘロンに泊まっていらっしゃるはず!
明日お会いできるのが楽しみだ!
8月5日 SAT
P-さんにhashimotoさんの部屋番を聞きに行ってもらったらレセプションでバッタリ出会ったそうで、一緒に部屋まで来て頂いて少しお話しした。とっても良さそうな方で、これからお姑さんのところへ挨拶に行かれるそうだ。
そのあとsegawaさん登場。一年ぶり。しばらく話をし、明日のお仕事の簡単な段取りとかを済ませてから午後に迎えに来てくださることになった。買い物に連れて行ってもらえるので嬉しい。
ヤヤ・センターのテキスト・ブックセンターで本を買う。
ふるさとで夕食。お寿司、鉄板焼き、お好み焼き、〆は焼きめし。美味しかったけれどすごい量。ウーン、太るぞぉぉぉー。
8月6日 SUN
オフ会当日。 12時前にsegawaさんとP-さんと3人でかわいさんたちを出迎えにAPへ。その足でヘロンにチェック・イン。でもお部屋の準備がまだなので、とりあえず私たちの部屋に荷物を入れてもらってオフ会会場へ。Hさん、お連れのKさんと初顔合わせ。hashimotoさんが一足先に行ってアレンジしてくださってたので大助かり。もう一人、NGOでお仕事なさってるというFさんという方が飛び入り参加。
体調がまだ戻らず、たくさんのお肉を前にして、いつものようには食べられないのが口惜しい。お話は、ほとんどみんな初対面のわりにはよく弾んで楽しかった。
夜はエチオピア料理ということになっていたが、H/K組が昨夜行ってきたとのことで、急遽私たちの部屋で集まることになり、segawaさんとP-さんがサンブサを買いにいってくれた。
部屋の椅子がたりないからクッションを外して床に座ったりして、まさに乞食宴会だったけれどお店で喋るよりは遠慮気兼ねなく喋れるのでいろんな事、ここには書けないようなこと(某学校のことなど)まで話して、夜遅くまで話が弾んだ。
8月7日 MON
7時前にレセプションに行くと、hashimotoさんは5分ほど前にチェック・アウトなさったとか。お別れしたかったのに・・・。私たちを早く起こすといけないって昨夜仰っていたかけれど、もう少し早く起きれば良かった。
そうこうするうちにかわいさん組が下りてきた。迎えの車が来るまでバッファロービルで朝食とおしゃべり。予定より遅れた迎えのバスで元気に出発していった。若者は元気で良いなと、おばさんは壊れたお腹を抱えて羨ましく思う。
それにかわいさんの身軽なこと! バックパック一つで移動。私みたいに荷物4個で税関に止められたりしない。
部屋に戻って私たちも朝食をとる。しばらくしてsegawaさんがおうちの鍵を届けてくださった。そのままお部屋を見せてもらいに連れて行って頂いて、明日から移らせて頂くことにする。
ノーフォークのデラメア・テラスでお昼を済ませ、そのまま街へ行って、ちょっと細々と買い物してからエミレーツへ。値段を調べてもらうと、KQをキャンセルしてこちらでリターンを買うのが一番得策と思えるが、一晩考えることにして帰宅。
荷物をまとめようとすると、1週間の間に台所関係と食品、それに本が増えて大変な量。本はまだ買う予定だから先が思いやられる。
8月8日 TUE
午前中にsegawaさんのおうちへ移る。
荷物の整理を終え、またまたデラメア・テラスで昼食をとってからエミレーツへ。
バンコク/関空がウェイティングになるということで、担当者がバンコクへメールしてくれることになった。エミレーツのマイレージ・プログラムのメンバーなのでたぶんうまくいくと思うとのこと。
帰りがけにテキストブックセンターによってまた6~7冊購入。新しい子供用のスワ・スワ辞書があった。Rさんたちの良いお土産が見つかった。
8月9日 WED
エミレーツへ出かけるとすごい人。今日出発の人たちが詰めかけているとのこと。日本だと、国際線のチケットを当日に買う人は少ないだろうに、ここだとまるで国内線のよう。日本とケニャ、どちらが国際的なんだろう?
BKK/KIXはOKが出たそうだが、あまりの混みように、発券は明日にしてくれというので、また明日出直すことにする。
ファスト・フードのお店で簡単にお昼を済ませて帰った。
夕食のあと、お水が出ない。洗い物ができない。おまけに停電。最悪!
明日は出てくれると良いのだが。
8月10日 THU
お水が出ないままなので朝食は外でとることにする。朝からパサラのサンドウィッチで、本当にお腹の調子が悪いの? という感じだが、日本出発の時から調子が悪いのを引きずってて、キツい腹痛はないもののひどくお腹を下しててめまいもひどい。それでも食べてはいるけれど、いつもに比べると食べてる量は少ない。
エミレーツへ寄ってチケットを購入。今日の仕事は終わり。
お昼は家でサンドウィッチ。夕方にやっとお水が出たので大急ぎで食器を洗って洗濯して、お風呂を使って一安心。しんどかった。
8月11日 FRI
朝、ベランダにサイクス・モンキーが出現。ちょっと嬉しくなったが、本当はヤバい。窓を開けていたら大変なことになるかもしれない。
時間を見計らって外出、家に電話する。父親は今週も外泊させてもらえたみたいで家にいた。電話が聞き取りにくいのか、声があんまり元気そうでなかったけれど。
そのあとフォーン・カードを買い足したくってコンファレンス・センターまで行って中に入ろうとすると呼び止められた。去年、ここの展望台で、普通は入れない一番上まで連れて行ってくれたヘレンが、私たちのことを覚えていて呼び止めたのだ。私が彼女の名前まで覚えていたので大喜びしてたが、ついでにchaiも要求されてしまった。カードを買って、ついでにMoiのピンも買ってソーン・ツリーへ移動、アイスクリームを食べる。けっこう美味しかった。
CDを捜したが欲しいものがなく、テープを4本ほど買って帰る。朝洗って干してあった洗濯物が風で飛ばされそうになっててビックリ。もう少しで外に飛んでしまうところだった。
夕方segawaさんご帰宅。オビラも一緒だった。前にMLに登場してくれたが、私は知らない人だとばかり思っていたら、なんと以前に出会っていたんだ。ミコチェニの家主の友達だって。世間は狭いというか、私が覚えていないだけなのか。
8月12日 SAT
segawaさんのお供でジョモ・ケニャッタ大学へ。ボーマスみたいに各民族の住居がしつらえてあって、中に入らせてもらって楽しかった。ウジも美味しかったなぁ。ひょうたんの器に入って出てきたのがとても嬉しかった。
フェアビューに戻って昼食。庭で写真撮影をしている新郎新婦がいたので頼んで撮らせてもらった。
夕食はsegawaさんをご招待してタマリンドへ。やっぱりロブスターは美味しい。ただ、ナイロビでも、ということはケニャでということだが、一・二を競うレストランだけあって高いのが難点。むろん日本で食べるよりは安いには違いないのだが、他の高級といわれるレストランに比べて倍ぐらい高い。とぼやきつつ毎年必ず最低でも一度は行くんだけれどね。
8月13日 SUN
segawaさんのお仕事関係の方のところへお邪魔。そのあとは荒川さんのところへ。
こどもたちが可愛くって楽しかった。荒川さんの活動も細かく見せて頂いた。
夕食はトゥナ・ツリーへ。でも、Oのおかげでちょっと恥ずかしかった。P-さんがピザを頼んだものだから、たぶんOのヤツ、ピザがなにかも知らずに負けじとばかりに頼んだんだろうなぁ。ヤツにとって気の毒なことには、P-さんが頼んだのがシュリンプのピザだったもので時間がかかって、さきにOのが運ばれてきてしまった。食べようが判らなかったのか、まず具材を食べてしまって、それからおもむろに生地を食べ始めたものだからウェイターたちが教え合って眺めて笑っている。子供じゃないから食べ方を教えるわけにもいかないし。まぁ、二度と一緒に食事に行く機会はないだろうから良いけれどね。
8月14日 MON
カズリまで出かけていった。お土産用のビーズのバレッタやネックレスを買い、P-さんからブレスレットをプレゼントしてもらい幸せモード。ラーメン鉢にするつもりで大きめのボールとマグを購入。P-さんは両親へのお土産にとそれぞれにマグ・カップを買ってくれた。
今日もまた断水なのでお昼は外で。帰りにタバコが買いたいからってことでナショナル・シアターによったらチェンジがないって。結局chaiを飲んでサンブサを食べて、それでお金をくずすことに。食べ過ぎ!
8月15日 TUE
今日はマサイ・マーケットの日。
キー・フォルダーなど細々としたお土産を買いまわったがホコリと汗で大変。お水が戻らなかったらシャワーできないなと思っていたら夕方に戻ってきて(´▽`)ホッ!
お昼はお水がなかったのでピザ屋へ出かけた。デリバリーもしてくれるお店が出てきてるのが新鮮。でも日本のピザやさんみたいに"30分"ってわけには行かないんだろうなぁ。味はマァマァいける。昔のヒルトンのピザ屋さんとかトラットリアのピザみたいなわけではないが、ファスト・フードのお店としてはこんなモンでしょう。
8月16日 WED
segawaさんとご一緒にナイロビNPへ。お天気もあまり良くなく、めぼしいものも見られず。本当、運が悪い。
お昼はCarnivoreで。
8月17日 THU
KQのチケットの払い戻し、まだうまくいかない。キレる寸前。
車を洗いにウエストランドまで出かけた。って、別にウエストランドでないと洗えないわけではないのだが。どこで洗おうか、待ってる間はどうしようか、なんていいながら車を走らせていたらウエストランドまで行ってしまったというわけ。
車を預けて、すぐそばの小さなスーパーに入ったら、先日MLで話題になった「妊婦さんが食べる土」が売っていた。思わず購入。でもなんのため?
お茶でも飲もうとその隣のお店に入った。私はchaiを頼んでP-さんはソーダ。飲みながら喋っていたらウェイトレスが「タンザニアにいましたか? 」って聞いてくる。P-さんとチョンバレやねって笑うことしきり。一言喋るとタンザニア、しかもダル訛りがばれるみたい。「ダルの訛りがあるみたいだから、ナイロビの人じゃないと思った」って言う彼女はチャガだって。チャガ語で挨拶すると大受け。椅子を持ってきて座り込んだ! ちょっと日本では考えられない行動。
8月18日 FRI
おみやげ物を探しにウタマドゥーニへ。確かに良いものはあるが高い。あまり高いものは買いたくないがレソで色柄の気に入ったのがあって、カンガなんかに比べればむちゃくちゃ高いなと思いながらも美しさに負けて購入。
夕食は、segawaさんのお供で、日本からのツアー・グループと合流してリクショーで。久しぶりだなぁリクショー。何もナイロビで中華を食べなくってもって思う私は、自分からここを選ぶことはあまりないんだけれどね。食後はグループが泊まっているヒルトンに場所を移してお茶。
8月19日 SAT
植物園へ出かけた。広くって、スカウトの子供たちが遊んでいたり、宗教グループが集会をしてたり、植物園というよりは公園見たいかな。
ヴィレッジマーケットへまわり、Carnivore経由で帰宅。
夜は、モシからのグループと合流、ニャマチョマの夕食。グループのメンバーが舅のことをご存じで、またまた世間の狭さを感じる。
8月20日 SUN
トゥナ・ツリーで最後のランチ。迎えに来てくれたカリユキの車で空港へ。
チェック・インを済ませいったん外に出るといういつものパターン。ところが5時過ぎ、搭乗案内有り。早すぎる。だのに出発は40分遅れ。なんのための搭乗案内や!
Wブッキングが各クラスであったようで、私のシート・リクエストもダメ。EK、第一印象悪し。荷物は42キロほどになっていた。関空で、本の包みを開けさせられたら困るなぁ。あとの荷造り、紐掛け機とか、あるのかなぁ。ナイロビだとP-さんが縛ってくれるから良いけれど、自分でやるとゆるゆるになるだろうし。
シーフードのミール・リクエストは通っていて良かった。それにしても、エミレーツのミール種類の豊富なこと。
今、ナイロビは7:50。もうすぐケニャから出てしまう。また一年、空白の時間を過ごすのかぁ。
食事のテーブルにお花、バラが一輪置かれる。食器が素敵。でもサービスは、よくいえばキビキビ、悪く言えば機械的、でも食事は美味しかった。いつになくたくさん食べた。デザートのベークド・バナナとメロン、満点だったかも。それにしても、食事のサービスのスピードがバラバラ。私がとうに食べ終わっているのに、隣の人たちにはまだ届いていない。ミールの種類が豊富なのがいけないのかもしれない。
アテンダントのアラビアなまり(だと思う)の強い英語はとても聞き取りにくい。まぁうしろの方からスワヒリ語が聞こえてくるし、通路を挟んだお隣さんは英語で喋っているけれどスワ単が入るから、いざとなれば通訳してくれるだろう。
アールグレイとゴディバでディナーは終了。珍しく食った、食った!
それにしても、評判が良いほどサービスが行き届いているとは思わないなぁ。どっちかというとCXの方がずっと良い感じがする。昔のBAも良かったし、往きの全日空も良かった。
出発は遅れたがドバイ到着はほぼ定刻通りのよう。ドュバイ/バンコクは時間が変わっていて、3時間ほどのトランジットのはずが5時間ほどに変わっている。だったらバンコクでの時間が短くなるがホテルに入っても忙しいだけだろうか? トランジット・ルームにずっといた方が良いんだろうか。でも、8時間ねぇ・・・。香港のキャセイのラウンジみたいにシャワーとかできるんだったらラウンジでも良いけれどね。
8月21日 MON
ラウンジに入って紅茶とジュースを飲んでからシャワーを使った。シャンプーはしなかったがさっぱりした。今度はゆっくりとアールグレイとフルーツケーキを楽しむ。でも、3時間と思っていたのが5時間になるというのは辛いなぁ。普通は分散されるのが良いのだが、今回はBKKでホテルがディ・ユースになっているから、時間が短いと帰ってドタバタとしんどいことになりそうだ。
ナイロビを出るとき、空港でお腹が痛くなたのと、思ったより20~30分も早く搭乗案内があったのとでP-さんと慌ただしく別れてきたが、もう8時間も経ってしまった。今はナイロビは夜中の2時前。P-さん、もう寝ただろうなぁ。私は眠いのに眠れない。ラウンジのベッド・ルームは満室で、椅子は一人がけのものしか空いてないから横にもなれない。あと2時間ちょっと。しんどいなぁ。
5時55分、変更後の時間通りにドュバイ出発。
ラウンジで、最後の1時間ほどの時にウトウトしたもので妙に眠い。ナイロビは3:55だから眠くて当たり前だけれど。
離陸してしばらくしたらまた眠ってしまったみたい。
出発後3時間ほど過ぎて、ムンバイも通り越したインド上空。ドュバイ/ムンバイは思ったよりも近いんだ。時間が変わったからバンコク到着は3時過ぎの予定だから、ちょうど半分過ぎたぐらいかな。
15時到着で、JLは23:59。ということはボーディング・タイムは22時ぐらい。7時間だけか。荷物はスルーにしてあるけれど入国手続きに1時間近くかかったとして6時間。ホテルへの往復時間がどれぐらいかにもよるけれど、シャワーする時間ぐらいしかないのかもしれないなぁ。エアーポート・ホテルでリクエストしてくれてたのに取れてなかったから、どれほどの距離かまったく判らない。トランスポートにもよるけれど、JALのラウンジにいる方がかえって賢いかもしれない。まぁ到着したときのトランスファー・デスクでの話し次第だな。
急にキャプテンの慌ただしい声でベルト着用のサインが出たが、とくに揺れることもなく飛んでいる。インド大陸の一番幅広いところを横切っているような感じで飛んでいる。でも当然雲ばかりで何も見えない。
ホテルのことでアテンダントに尋ねようにも言葉が通じなくって、後ろに座っていたちょっと怪しげな、アラブかインドか判らないスキンヘッドに頼んで尋ねてもらったが、やっぱり空港で尋ねるしかないので着いたときの通訳をお願いする。
タイ上空。ドュバイとの差の大きなこと。家のあるところ以外は乾いた砂漠のドュバイと、大きな川が何本も蛇行し、畑のようだが緑がいっぱいのタイ。家々の大きさはドュバイのそれの方が大きく見えるが、ドュバイはリッチな感じがして、タイは豊かな感じを受ける。リッチをとるか、豊かさをとるかと聞かれれば、リッチにあこがれながらも豊かさを選択するだろうな。リッチっていう言葉からは経済的な満足度を想像し、豊かという言葉からは、なにか精神面も含めた、満たされている安堵感を思う。
機内いたるところ、ハクションと鼻をズルズルいわせる音が充満している。みんな風邪引き状態。
ナイロビは11時頃。P-さんはもうsegawaさん宅へ鍵を返しに行っただろうなぁ。明日家に電話をくれることになっている。
タイまではたどり着いたが、まだこの先長いなぁ。水田が広がっている。東アフリカには雨がなくて、マサイがナイロビの市内にまで牛を持ち込まなくてはいけないほど乾燥していた。豊かに流れる川。人間にとって一番大事なものそれはやっぱりお水だと思う。汚職とかがなく、上下水道が完備して、灌漑用水も確保できれば、東アフリカは豊かな土地になるはずなのだが。
バンコク到着。ターミナル・ビルに入ったところでEKのスタッフが名前を持って待っていてくれた。エアーポート・ホテルにしてくれてたので例のスキンヘッドにお礼を言って別れる。数人のマサイを引き連れてフィルム撮影のために東京に行くという。この人たちと話しているのも面白いだろうとは思ったがシャワーもシャンプーもしたいからともかくホテルに行こう。
若い日本人の女性も同じホテルなのでお世話をおかけすることになった。シングルRだけれどキングサイズのベッドが入った大きなお部屋を用意していてくれた。プールもあって素敵なホテルだ。最初の予定通りだったらもっとゆっくりできたんだろうけれど。彼女は10時のフライトなのでそれに会わせて6時からご一緒に夕食をとることにする。それまであと1時間。眠るわけにはいかないし・・・。食事から戻って、彼女が出発し、そのあとまだ2時間ほどあるけれど、寝るのは飛行機の中にしなければ。
タイ料理の夕食は美味しかった。日本のタイ料理屋さんのものとはやっぱりちょっと違っているけれどなかなかグッドでした。二人でいろいろ話せて楽しかった。
結局ホテルではウトウトすることもなく、シャワーが使えたのとベッドに体を投げ出せただけ。まぁそれが大事なんだけれどね。それにしてもタイの暑いこと。イヤになってくる。蒸し暑い。とくにホテルと空港の連絡通路がひどい。チェックイン・カウンターの辺りも暑い、このラウンジの中は涼しいけれど。
あと小一時間で搭乗予定で明日の朝は関空だ。
8月22日 TUE
出発前、機内のビデオにサバンナが! 不思議な錯覚に陥りそう。次々と顔なじみの動物たちが続く。マラ平原だろうか、大きな虹が架かってる。ミグレーションのヌウの群れ。チータが2頭、顔を舐めあっている。
フライトは5時間ほど。出発するとまもなくオープンサンドのサービスがあって、そのあと眠れないままにいたが、朝食直前にちょっと眠っていたみたいでおしぼりサービスで起こされた。ヨーグルトとフルーツを食べ、ご飯と焼き魚は一口だけ。ダメだ! 帰りはよく食べてる。かつてないことだ。帰ってから体重計に乗るのが怖いなぁ。もっともP-さんは100キロになってもいいって言ってくれてるけれど! (^o^)ハハハ でも、本当に100キロになったらなんていうだろう。
あと1時間弱で関空着。出発は若干遅れたが20分ほど早着。
今年のサファリも無事終了!!

お疲れ様でした。
後日談
後日判ったことだが、スキンヘッドに率いられたマサイの人たちは「マサイの戦士」という飲み物のコマーシャル撮影での来日だった。偶然にも彼らについた通訳の方が、私のサイトにカキコに来てくださって判明。
世間は狭いですね。